ジャイアント・ピーチ
プロット
アメリカ
12月14日 1996 台灣上映
ジャイアント・ベビー
プロット
アメリカ
06月26日 1993 台灣上映
アイアン・シーク
プロット
カナダ
04月23日 2021 台灣上映
アイアン・イーグル
プロット
アメリカ
04月19日 1986 台灣上映
アイアン・ホース
プロット
アメリカ
01月01日 1900 台灣上映
パンピン・アイアンII
プロット
アメリカ
01月01日 1900 台灣上映
本站關於電影海報,預告,影評,新聞,評論的綜合性電影網站,我們提供最新最好的的電影以及在線影評,業務合作亦或意見建議請電郵我們。(Copyright © 2017 - 2022 KKTM)。聯絡我們
アイアン・ジャイアント評論(13)
ところで理想主義的政治経済思想とは、国民国家の自決権や国境や関税や伝統などを旧態の弊害とだけ解釈して撤廃し、世界統一政府の如き統治構造で国際社会を政治的にも経済的にも文化的にも宗教的にも一元化させることで人類平和を合理的に実現させようとする、いわゆるユートピアニズムだ。ユートピアニズムは、地球惑星の気候風土やこれを生存拠点とする民族性やこの死生観の表れとしての宗教性などに貫かれる多元性、この合理的な数値評価の不可能な諸々の不確実性を度外視するといった欠陥をその前提に孕んでおり、この思想的破綻が招いた実際の例が、21世紀初頭におけるEUや合衆国の主流派経済学的な政治経済思想による制度体系の行き詰まりに見ることができる。米ソ冷戦終結で勢いづいたアメリカのユートピアニズムは国際社会の標準規格として拡散され始めてから数十年を待たずして、この思想的限界が既に露呈しているわけだが、こういった「一元化」「規格化」「画一化」などで示せる本質こそが、オルテガやウェーバーが危惧した民主主義の没落傾向としての「官僚制」のそれと相通じているのであり、この観点から、例えば足元の日本の行革のことごとくは、政治や行政の裁量権限を数値評価できるという錯覚を前提にした透明化だの、民営化による縮小整理だの、緊縮財政絶対視だの、市場均衡論に依った流動性の罠への無策だの…、いずれも政治家や官僚がこの一身に負うべき自由民主的な権限に伴う使命感や責任を放棄させるような流ればかりで、直接民主主義的な素人の無責任さで形成された世論に振り回されてばかりのポピュリズムの温床、こういった意味での「官僚制」、つまりオルテガやウェーバーが危惧した「官僚制」が強化されただけだったという、より本質的な解釈が得られるというわけだ。実証的な行政学なる学問分野を渉猟しながら、こういった保守主義的な行政史の検証を試みることは、そもそも経済ナショナリズムにおける「精力的行政」の様々な実態への把握を積み重ねる意義からも興味をそそられる。そもそも私は依然、オルテガの『大衆の反逆』やウェーバーの『経済と社会』をまともに読んでいない。がんばろ。
ところで、久々にアニメ『アイアン・ジャイアント』を観た。さしずめ、本作品に登場するケント・マンズリー捜査官は「官僚制」的な官僚であり、一方で、アイアン・ジャイアントはロボットでありながら「名望家」なのだろう。孤高のヒーロー像を子供に提供する『アイアン・ジャイアント』は、オルテガやウェーバーからも絶賛されるに違いない。
絵柄はちょっとアメリカンすぎるしキャラもアメリカンすぎで鼻につく部分もあるけど、良い映画です。
「鎌と槌」がプリントされたスプートニクに始まり、耐爆姿勢を教える映画や、白黒テレビなどなど1950年代のモチーフがたくさん出てきて、作品の雰囲気的には大満足。ラストのジャイアントがミサイルを防ぐシーンから、ジャイアントの生存が描写されるシーンまでの流れもよくて、後味の良い作品だった。池のシーンで主人公が「バンザーイ」と飛び込んでる意味をネットで調べてから「バンザイサイパン」のことを知って、そこに引っかかる人もいるみたいだけど、あの時代背景と、言葉の意味をよく知らない子供の無邪気さをうまく表してて上手いなあと個人的には思った。
本編じゃないけど、DVDのメイキング映像で、ジャイアントの声を当てたヴィン・ディーゼルが身振り手振りで紹介してるのは、ワイルド・スピードのいかついオッサンのイメージとのギャップがあってさらに面白かった。
『天空の城ラピュタ』のロボットをモチーフにして、『キングコング』のテイストで物語が進む。どう考えても筋が読めるのだが、泣けてくる。少年とアイアン・ジャイアントが心を通わせ、「じゅう、ころす」という言葉を反芻する。思わず少年の心が飛び込んできて、いっしょになって撃たないでくれと祈ってしまうのです。
1957年の冷戦時代を象徴するかのように、アメリカを侵略する影に怯える疑心暗鬼な大人達。最後には核が守ってくれるだなんて毛嫌いすべきアメリカ人的発想も見え隠れするが、批判的に描いているのでホッとしてしまう。武器を持たないロボットだったら、どんなエンディングを迎えたのであろうと、ふと考えてもみたくなる映画だ。ラストには『スーパーマン』をリスペクトしているが、子ども向けに作られているせいなのか、余計なエンディングだったようにも感じてしまった。
最後自己修復のオチはよかったです