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皆殺しのスキャット プロット 日本 12月05日 1970 台灣上映
皆殺しのジャンゴ プロット イタリア・アメリカ合作 06月12日 1971 台灣上映
皆殺しのトランペット プロット アメリカ 06月07日 1963 台灣上映
皆殺しのバラード プロット アメリカ 12月24日 1967 台灣上映
皆殺しの挽歌 プロット アメリカ 11月19日 1988 台灣上映
皆殺しハンター プロット イタリア 03月10日 1973 台灣上映
皆殺しの天使評論(9)
さすがに変だと気付くが、誰も出ていくことが出来ない。
外では警察も集まっているが、誰も入っていくことが出来ない。
そんな中、人々は次第に本性を露わにしていく。
ルイス・ブニュエル監督のとても怖い映画だ。
彼らを見殺しにしているのは私自身なのかもしれない。
…昔の作品なのに、そんなことを受けとれるほど現代でも引けを取らない。見れてよかった。
また、そのフリオが招待客を二度案内するシーンがあり、ディナーでの二度の挨拶があるという不自然さ。二度同じことを言う人物もいたが、なぜ彼ら20人の招待客が閉じ込められたのかということへの疑問がそんな経緯さえも打ち消してしまった。とにかく、原因が全く見当つかない密室劇。普通のホラー、サスペンスであれば、誰かが壁を作ってしまったとか、テロリストに包囲されてしまったとか、強盗犯に拘束されてしまったとか、何かありそうなものなのに何もない。神の力によって“帰る”という意思を奪われてしまった様子なのだ。
最初のディナー以外には食料はなく、二晩、三晩と過ぎる中で空腹や妄想に襲われるセレブたち。死者も出るし、不衛生で悪臭が漂う密室。駆け落ちしたかのような男女がクローゼットで抱き合ったまま、彼らも死んでしまう。水を飲むため壁を壊し水道管を掘り当てるという始末。互いにエゴを剥き出しにして罵り合う者。ホストであるノビレも事態を収めたいが成す術がないのだ。
不条理劇と一言で表現するのは勿体ない。いざというときに何も出来ない富裕層と、空腹になったら紙でも食っちゃう使用人フリオの対比。力強く生きようとする者と厭世観漂わせる弱気な者。20人もの性格を比較するのは困難だが、みんな自己中であることだけは確か。また、彼らには見せかけの信仰心しか持ち合わせてなく、神なんて単なるアイコンにしか過ぎないこともわかる。これを現代でリメイクしたら、性欲描写も凄まじいものになるんだろうな・・・
羊とかフリーメーソンとかいう若干怪しい要素あるのもまた影をつくってるよね。
SAWとかの原点なのかな。次につづくラスト含め。ただあれだけの人数で90分って相当ですよ、キャラもちゃんと把握できたし、"