瞼の転校生
プロット
日本
03月02日 台灣上映
三代の盃(1962)
プロット
日本
03月04日 1962 台灣上映
奇跡の人(1962)
プロット
アメリカ
10月26日 1963 台灣上映
ロリータ(1962)
プロット
アメリカ
01月01日 1962 台灣上映
母の曲
プロット
日本
05月15日 1955 台灣上映
母の灯
プロット
日本
07月01日 1947 台灣上映
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瞼の母(1962)評論(2)
加藤泰監督1962年の作品。
“母を訪ねて三千里”は有名だが、江戸の日本にも。
賭博番場の忠太郎が生き別れた“瞼の母”を探して。
何度も映像化されている股旅物。
他の映画化で昔見た事あるような、しかと見るのはこれが初めてのような…?
タイトルは勿論知っていたが、内容も何となく知っていた。寅さんでもインスパイアされていたし。(『続・男はつらいよ』)
なので、ただ単に母を探す話だけかと思ったら、80分の尺の中にコンパクトに一期一会、人情、チャンバラ活劇…加藤監督の職人手腕が冴え渡る。
やくざと揉め事を起こした若い渡世人の半次郎を助け、母と妹の居る彼を渡世の稼業から足を洗わせる。
しかしこれがきっかけでそのやくざ一味に命を狙われる。ラストの大立ち回り前の「おメェら、親は居るか? 子は居るか?」がカッコいい。
母が居るという江戸へ。それらしき初老の女性に声を掛け、訪ね歩く。人違いではあるが、生き別れた子はおり、それぞれの親子にそれぞれの事情が。
とある料理茶屋の女主人、おはま。
過去も経緯も忠太郎の話とほとんど合う。
そう、おはまこそ忠太郎の実母。探し求めていた“瞼の母”。
が…
おはまは息子ではないと断として拒む。さらには、“忠太郎”という息子は九つの時に流行り病で死んだと。
忠太郎が生き別れたのは五つの時。相違するも、絶対に間違いない!
そんなおはまの目にうっすら光るものが…。
おそらくおはまも感じているのだろう。血を分けた我が子である事を。
でも、言えない。何故なら…。
訪ねて来た息子は堅気ではなく、やくざ者。会いたくなかった。
息子はやくざ者とは言え、孤独の身。金の無心なんかじゃない、ただただ逢いたかった。
双方の気持ちも分かるだけに…。
現在の邦画でも別れた家族の再生/再会の物語はスタンダード。
感動的なハッピーエンドもあれば、哀しく、切ない結末も。
本作は、邦画に於けるその古典だろう。(最初の映画化は1931年)
“会いたくなかった”から“逢いたかった”へ。
“逢いたかった”から“もういい”へ。
おっかさん、幸せに暮らして下せぇ。
あっしはお天道様の下では生きてけないやくざ者。
逢いたくなったら、瞼を閉じりゃあ、いつでも逢えますから…。
番場の忠太郎(中村錦之助)はヤクザの渡世人、小さいときに別れた母親を探している。
ようやく母らしい人(木暮実千代)に出会うが、頑として認めてくれない。
どちらの気持ちもわかるだけに切ない。