独軍占領下のフランスで、第二次大戦中、悲劇的な抵抗運動に命をかけたレジスタンス闘士たちのエピソードをつづった作品。製作はジャック・ドルフマン。ジョゼフ・ケッセルの原作を、「ギャング」のジャン・ピエール・メルヴィルが脚色し、自ら監督した。撮影はピエール・ロム、美術はテオバール・ムーリッス、音楽はエリック・ド・マルサンがそれぞれ担当。出演は「ベラクルスの男」のリノ・ヴァンチュラ、「ギャング」のポール・ムーリッス、ほかに、シモーヌ・シニョレ、ジャン・ピエール・カッセル、クリスチャン・バルビエ、ポール・クローシェ、クロード・マン、アラン・リボールなど。
影の軍隊評論(10)
1942年から1943年にかけてドイツ軍占領下にあったフランスのレジスタンス運動に生死を賭けた者たちの壮絶な悲劇。フィルムノワールの後継者メリヴィル監督の抑制された静寂な演出タッチが全編を覆い、その暗鬱さが当時の時代の空気感とフランス人の息苦しさを表現する。兵士同士の戦闘だけが戦争の悲惨さではないことを、改めて強く認識しないではいられない。抵抗運動の固い絆の根源は祖国愛でも、裏切り者に対する躊躇ない制裁には、人間の追い詰められた極限状態の残虐性が露になる。主人公ジェルビエが体験する、ゲシュタポのゲーム感覚の処刑のやり方にも驚嘆するが、人間の尊厳を凌辱する意味では共通するのかも知れない。
物語は、イギリスの潜水艦でロンドンに密航、同志がゲシュタポに拘束された知らせを受けて飛行機からパラシュート降下で帰国するところや、ドイツ兵に変装して監禁された仲間の救出を試みるところなど、緊迫した場面が続く。そして、女闘志マチルダを射殺したレジスタンス仲間4人の男たちもそれぞれ道半ばで殺される結末が、何ともやるせない。リノ・ヴァンチュラ、ソモーヌ・シニョレ、ジャン=ピエール・カッセル、ポール・ムーリスとフランス俳優の真剣な演技が、映画を最後まで惹きつける好演。
これを見て、だから国防が必要だろと言う人もいるだろうけど、そんな単純なものじゃない。ドイツ国内だって、ナチスと闘った人達がいる。ナチスという大きな悪と闘うには如何に大変か、だからこんな勢力が育つ前に日頃注意して各国が力を合わせて潰して行かなきゃってことだと思ったけどね。まず、少なくとも日本は再びものが言えない、言ったら逮捕される昔のような国に戻らないように、今生きている日本人に努力する責任がある。
タイトルから巴里を守ったレジスタンスの活躍ぶりを描く戦争映画かと勝手に想像していたがまるで真逆、レジスタンスの内側を赤裸々に描いて、レジスタンスへの賞賛や美化を真っ向から覆している。正規軍であれ陰であれ戦いは綺麗ごとでは済まされないというのは分かるが見方によってはナチスもレジスタンスも非道さにおいてはどっちもどっちもの感さえ覚える。
連合赤軍の事件が頭をよぎる。主人公は仏レジスタンスの裏切り者粛清役だから仲間と言えど情け容赦なく殺す、それだけの話を延々2時間20分も見せられては病気になりそうだ。
歴史とはそういうものだと言われれば善いも悪いもなく、醜悪なだけだ。
主人公(リノ・バンチュラ)はサブリーダーで、裏切り者への対応も容赦がない。
捕まり殺される寸前に同志の女性(シモーヌ・シニョレ)に助けられるが、この女性が捕まり・・・。
レジスタンスの苛酷さがよく伝わってくる。
あからさまな感情を挟まず、ストイックに淡々と重ねていく描写が特徴的だ。それゆえ登場人物の「行動」が個性を規定する要となる。あのメガネ姿の中年男に自ずと魅了され、それにも増して、組織を束ねる小太りのおばちゃんの、あの力強い統率力に惚れ惚れしてしまうのも、きっと「行動」のなせるワザだ。公開から50周年が経つが、古臭さなど微塵も感じない、心底しびれる作品であった。