ガラスの動物園(1950)
プロット
アメリカ
09月11日 1951 台灣上映
ビルと動物園
プロット
日本
07月19日 2008 台灣上映
美術館の隣の動物園
プロット
韓国
11月11日 2000 台灣上映
Mr.ズーキーパーの婚活動物園
プロット
アメリカ
01月01日 1900 台灣上映
ガラスの脳
プロット
日本
01月29日 2000 台灣上映
ガラスの墓標
プロット
フランス
05月29日 1971 台灣上映
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ガラスの動物園(1987)評論(1)
演技が上手いのか下手なのか、判断できない役回りも結構ある。出番が少なすぎたり、感情表現がない役柄は、わからない。
演技について、意識せずに見ていることがほとんどでもある。よっぽど下手でなければ目立たない。
俳優は一定の演技力を備えているはずで、考えてみると、演技賞というのも、なかなか酷な話だ。
演技力があっても大人しい役柄では目立ちにくく、また、佐藤二朗は誰もが好きなのに演技賞タイプではない──という俳優のスタイルからくる不文律もある。
感情表現のある役がチャンスだが、おいそれと巡ってくるものではないし、それを得るには実績が必要になる。が、実績を数分でつくった俳優もいる。
ジョンマルコヴィッチはロバートベントンのプレイスインザハート(1984)で盲を演じたが、脇役で出番も少ないのに、凄い演技だった。今で言うとアダムドライバーみたいに、名だたる映画人から一斉に声がかかった。スピルバーグ、ベルトルッチ、Sフリアーズ、ピーターイェーツ、ウォルフガングペーターゼン。自身がモチーフになった映画、マルコヴィッチの穴(1999)もつくられた。
常に演技力を必要とする役を任された。二十日鼠と人間(1992)はマルコヴィッチなくしては、成り立たなかったと思う。
寵児だった時代は過ぎたが、今もクレジットがあるだけで映画を見る。個人的にベストはこの映画だった。
普段は大人しい人が、激情を露呈するような役で光る。怒っているとき、声の調子が裏返る。抑揚に無類のリアリティが宿る。
映画も舞台風の前口上からはじまる。廃墟を訪れたトムが回想する。セントルイスの時代背景を話し、出奔して戻らない親父からきた唯一の手紙"Hello—Goodbye!" and no address. を紹介しておもむろに本編へ移る。
映画に感動して戯曲も読んだ。仕事に疲れ、毎晩母親と言い争っては飛び出し、夜通し映画を見る青年は、普遍性のあるRAGEだった。アマンダはグザヴィエドランが描く母親にも重なった。
所得のない母と不具なローラを捨て、父の足跡をたどり、永遠に奔走するトムには、癒えることのない良心の呵責がある。エピローグの独白、ローラそのキャンドルを消してくれに悔恨と慚愧とノスタルジーが集約され涙がこぼれた。
ポールニューマンの監督業は僅かで、ガラスの動物園とHarry & Son(1984)しか見ていない。いずれも昔レンタルVHSで見た。実直な人柄があらわれる、ロバートレッドフォードのような映画を撮る人だった。傑作だと思う。