青森県・津軽を舞台に、メイドカフェで働く人見知りな津軽弁少女の奮闘と成長を描いた青春ドラマ。「ウルトラミラクルラブストーリー」の横浜聡子監督が越谷オサムの同名小説を実写映画化し、「名前」の駒井蓮が主演を務めた。弘前市の高校に通う16歳の相馬いと。三味線を弾く時に爪にできる溝「糸道(いとみち)」を名前の由来に持つ彼女は、祖母と亡き母から引き継いだ津軽三味線が特技だが、強い津軽弁と人見知りのせいで本当の自分を誰にも見せられずにいた。そんなある日、思い切って津軽メイド珈琲店でアルバイトを始めたことで、彼女の日常は大きく変わり始める。いとを心配しながらも見守る父を豊川悦司、津軽メイド珈琲店の怪しげなオーナーをお笑いタレントの古坂大魔王、シングルマザーの先輩メイドを「二十六夜待ち」の黒川芽以がそれぞれ演じる。
いとみち評論(20)
クスっと笑えるポイントが散りばめられていたり、津軽地方の風景がバックで映えたりと、沖田修也監督の作品を観ている感覚でした。主人公の家庭といい、メイド喫茶の職場の人間関係といい、独特な居心地良さが感じられます。
観てから1日経って、この作品のテーマが分かってきたのですが、文化でも芸術でもコピーすること自体は、全く恥ることでもなんでもなく、そこから新しいことが生まれて、継がれていくものもあるのだな、と気が付かされました。
メイド喫茶のオーナーが「オリジナルなんてない、全部コピーだ(うろ覚え)」と豪語していましたが、あれは否定ではなくて何かを始めようとする人へのエールとも聞き取れます。
この映画の中では、2つの事象についてコピーがされていて、1つが「メイド」という文化、もう1つが津軽三味線という文化でした。
「メイド」の文化は、東京からやってきて青森という地で根付こうとしているところ、そして津軽三味線は、青森という地で脈々と、見て聞いて(耳コピ)継がれてきた文化。
その対比も面白いのですが、どちらとも(映画の中では)途絶えそうな危機を向かえる中で、また新しい魅力の発信へと昇華していく流れが、奥深いテーマなのでは、と勝手に読み取りました。
たまたま観賞した翌日に、企画展で俵屋宗達と尾形光琳の両者の描いた「風神雷神図屏風」という作品について知る機会がありました。
オリジナルは、俵屋宗達なのですが、尾形光琳は宗達の作品を上からなぞる(それこそコピーする)ことで、そこに色使いなどの光琳独自のエッセンスを加えていき、
宗達の技術を真似ながら自身のオリジナリティを加えることで、琳派が誕生したそうです。
そんなことに気が付けたこともあり、この作品すごいんじゃないかと思っています。
あと、メイド服が最初はただの制服だったのが、映画の終盤ではユニフォーム(スポーツ選手のそれ)に見えて、非常にカッコよく見えるのも印象的でした。
ー いとみち:三味線を弾く時に、爪に出来る溝。
だが、このタイトルはダブルミーニングであると、私は思った。ー
◆感想
・高校生いと(駒井蓮)は、亡き母、祖母(西川洋子:故、高橋竹山の弟子:そりゃ、津軽弁バリバリだよなあ・・。)の影響で津軽三味線の名手となるも、津軽弁なまりが強くて、引っ込み思案。そんな彼女が、ふとしたきっかけと時給に惹かれ、”メイドカフェ”で働くことに・・。
ー 設定が絶妙であるし、祖母がいとのモゴモゴと籠った津軽弁を聴いて、
”アンタノ言葉は、クラシックみたいだ・・”
も笑いのツボに入る。クスクス・・。
後は、余計なお世話だが、
”津軽弁に触れた事がない方は、劇中の台詞、分かるのかなあ・・”
と言う想いである。ー
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◇東北地方の難解方言
1.秋田県の山間地の高齢の方々の言葉
ー 山から下りて来て、温泉に入りたいので、”温泉は何処ですか・・”とお聞きすると”〇×▽◇・・”と、ニコニコしながら教えて頂いたモノである(複数回経験・・。超難解である。)ー
2.津軽弁 劇中にある通り。
3.庄内弁 みっこい⇒可愛い。しょすい⇒恥ずかしい。
いさごぐ⇒標準語では、当てはまる言葉なし。
わ⇒私。 いさぐ?⇒家に来る? こ⇒来い。
劇中出てくる、津軽弁にやや似ている・・気がしないでもない・・。 etc.
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・娘のいとがメイドカフェに勤めていた事を”事件により”知った民俗学者と思われる父(豊川悦司)が、娘と対立し、何故か二人とも、家を出る羽目に。
そんな父が、娘が働くメイドカフェに登山スタイルで訪れるシーン。
”チョモランマに行って来たんですか?””ハイ・・”
そして、娘が必死に初めて珈琲豆を挽きフランネルで時間をかけて淹れた珈琲を飲む父の嬉しそうで、安堵した表情。(家では、父が淹れていた・・。豊川さんは、矢張り良い役者さんである。)
ー メイドカフェを否定的に捉えていた父が
”こんなにきちんとした珈琲と、美味しいアップルパイを出す店であれば、大丈夫だ・・。”
と感じたと思われるシーン。
空になったカップとお皿のクローズアップ。ー
・メイドカフェが経営に危機に瀕し、店長が店を畳む思いをするも、先輩の訳ありメイドさんたち
(”首、もぐど・・”の自称お姉さん・・(黒川芽衣:とっても良かった)。漫画家志望の屈折した優しき卵(横田真悠)) の未来と現状のギャップが分かった上での、店を愛する心。
それを支援する常連さん達(宇野祥平さんって、ホント名バイプレイヤーだなあ・・)の姿も良い。
・引込み思案のいとが、店のため、自分のためにメイドカフェで、三味線を弾く覚悟をし、先輩メイドさんから、髪を梳いて貰うシーン。
ー 亡き母に、髪を梳いて貰っていたシーンとのシンクロの巧さ。
”きれいな髪だね。”と言う言葉。
いとの頬を伝う、一筋の涙。(見ているこちらも、グッと来てしまったよ・・。)ー
<ラスト、親子で岩木山の頂上に登り、
”あそこに住んでいるんだ・・。小っちゃいなあ・・。”
“ああ、小っちゃい・・。”と言う会話。
そう、世界は大きいのだ。
いとは、自分が住んでいた”小っちゃい世界で起きた事”を体験し、もっと大きな心で世界と向き合う決意をしたのだ。
爽快な気分で、映画館を後にした作品である。>
<2021年8月15日 刈谷日劇にて鑑賞>
さて、本作。
16歳の女の子が人と触れ合い、社会を知り、家族を知り成長していく物語です。
王道の成長物語なんですが、なんと言うのでしょうね、背伸びもウルトラcもなく、なんとも等身大?現実的な展開が地味ですが好きです。
そんな物語を青森のおおらかな風景と温かい方言、染み入る三味の音色が包み込み、彩っていきます。
津軽三味線の使い方が本当に良いです。
それは「いと」にとって何なのか?の描き方が、押し付けることなく、あざといわけでもなく、彼女の心の代弁者のように使ってるの、好きだなー。
さらに演技陣が舌を巻きます。
主演の駒井さん、三味線の特訓の成果バッチリです。おばあさん役の西川さん。奏者であって役者じゃない。いやいや、素晴らしいです。
駒井さんの感情の乗った津軽三味線は必聴です。
2 主人公は、小さいときに母がなくなり、青森の母方の祖母に育てられた。そのため、土着の年寄り並に津軽弁がキツイ。また、津軽三味線の奏者として鍛えられた。学校では友人がおらず、家では亡き母のことを想い寂しさを覚える日々。ある日、三味線の稽古をさぼり、胴体の手入れミスから音が歪み祖母から厳しいお小言。そんな彼女が三味線の修理代稼ぎなどからメイド喫茶で接客アルバイトに入る。言葉づかいなどで苦労するが、店長や同僚のフォローにより彼女にとって大事な居場所となる。喫茶店が存続危機に陥ったとき、彼女は三味線ライブを思い立つ。
3 主人公と父親との親子関係は、とても淡白。母親の死後、娘を長らく祖母に預けたままにしていたのだろう。そして、その後同居したが、主人公と心の距離は縮まらなかった。その後、娘のバイトを巡り、互いに背を向けあうが、喫茶店で真正面から向き合うことでわだかまりが氷解し、ようやく心が通い合う。コ−ヒ−を飲みアップルパイを食べる。言葉はなくともとても良いシ-ンとなった。三味線のライブ演奏やラストの山登りのシーンでは、主人公の顔付きや表情が様変わりしており、内面の成長が見て取れた。
4 横浜監督は、女子高校生とメイド喫茶、津軽三味線という三題噺みたいなリアリティに乏しい設定の中で、親子が関係を見つめ直し、人間的に成長する様を真面目に描いたと思った。
また、配給会社はロ-カルな話をよくぞ全国配給した。とはいえ、主人公や祖母などの津軽弁の会話は、理解できないことが多く、字幕での表示があればと思った。
1人の女性の死の悲しみが癒えぬままそれがジンジンと響くような10年を過ごす家族の強さにも似た痛ましさ。どこに行き、どうあってもそれと向き合わなければならない苦しさですね。しみじみとした痛い悲しみが心に響きました。
主演の子はとても魅力的で、他の方も素晴らしかったです。色気を出さずにしっかりと作られていると感じました。地元おこしのよくある地方映画ではなくとても楽しめました。