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映画 ビリギャル評論(20)
最近見なくなったけどこれにも野村周平出てましたね〜〜
高校の時これ見てその瞬間だけやる気になったのを覚えています。
何か始めたい時に観ると起爆剤になると思います。
そこには母の愛情と友達との友情もある。
塾の先生との信頼関係。母との心の結びつき。
友達を裏切らない心。人を信じる心があったからこそ合格できたのかな。と思った。
人は大なり小なり人との出会いで変わることもあるけど。ここまで変われることができるとは。。。凄いことです。
有村架純ちゃんのギャルぽっさが可愛い。😃
結末を知りつつ観て、それではない何かを得る。
ベタの連続で魅せきる構成の勝利。
目標に近づく程神妙になる作劇に評決を想う。
若者の人生の始まり即ち青春の終わりの始まりと同時に、大人側の終わらぬ青春を描けた青春映画の快作。
また泣いた。
坪田先生のすごさ。
ただ前向きなだけではなく、生徒それぞれに合わせた話題や話し方を押さえ、生徒の感情の波や学力の伸びに応じて、生徒がやってみたいと思える教材を都度差し出す。教え導くだけでも大変なのに、気力を沸かせ、押し付けるのではなく受け入れられる教材を渡して学力を伸ばすなんて、並大抵の教師ではない。天職に就いたとも思えるが、作中、先生も努力している。子供を1人の人間として対等に扱うし、素晴らしい人徳者である。
さやかの周りを取り囲む大人には、可能性を信じてくれる大人も打ち砕く大人もいて、それはどんな子供も同じだと思うが、その中からさやかはプラスの意見に耳を傾けてそちらを信じる力があった。学力以前にさやかの大きな長所だ。
どうせダメな存在なんだと思った時、信じてくれる母がいて、肯定してくれる予備校の先生もいて、安心できる場があった。それが学力を伸ばす大前提。
作品だから、スランプもありつつハッピーエンドとわかっていても、その背景に後半は泣きっぱなし。
挫折した過去を引きずり子供の可能性に自分の夢を乗せてしまう父親の気持ちも、子供達にどんな時も優しい母親が夫婦の悩みを抱えている気持ちも、坪田先生が塾の経営面では難ありな気持ちも、大人になればよーーくわかる。子供がイキイキワクワクしてる姿は親や先生にとっては本当に大きなエネルギーになるのだが、そこに至るまでに大人自身が自分の気持ちをコントロールし子供に良い影響になるようにアプローチするのは本当に難しい。
でもまずは可能性を信じて、自身も努力すること。
子供は大人の言葉より背中を見ている。
一生懸命向き合えばそれは必ず伝わる。
当たり前の事だができる大人は少ない。
次世代を担う子供にとって、その少数派の大人でいたいなと思った。
学問は生きるためにある。
意思のあるところに道は開ける。
さやちゃんにはわくわくすることだけしていて欲しいの。
どれも、言っていることは同じ。
人間の使命はそれぞれ最初からはわからないが、それぞれが経験や出会いを通してこうなりたい、これをやりたいという目標に出会えたら、そのために生きれば良い。わくわくしてもっと知りたいという気持ちが学びになり、その道が開ける。
知らずに見たが名古屋が舞台で、友達の遊び方は名古屋嬢そのもの。景色や言葉も名古屋で、楽しかった。
子供が3人いても、息子を野球漬けにし娘の金城の学費を払える程度にはお金がある自営業の家庭であり、少額の生活費でなんとかやりくりする母を知りながらもさやかは名古屋嬢らしく派手に遊んでいるが、勉強に目覚めてから、お金がかかるからではなく、勉強の邪魔という理由でメイクや身なりをそぎ落とし、友達も応援してくれて、自然とシンプルになっていく変化が面白い。
人間、他に打ち込む事ができ自信がつくと、飾りたてずとも魅力が出てくるもの。
生き方に自信がある人間は強い。
先生のようになりたいと話しながら直接的な教育学部は受けていないところもまた良い。さやかには文学部より総合政策学部の方が向いていると思う。意思のあるところに道は開ける。まさにそうだなと感じた。反対意見も想定した上で自分の意見を書く、と小論文のコツを坪田先生が教えてくれたからこその合格だが、元々ビリだったためにクズとまで呼ばれた反対意見も受け止めつつ合格まで走り切ったさやか、常に同じ方向を向いている家族ではないからこそ書けた小論文でもあるのだろう。