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LOVE LIFE評論(20)
はじめて観ました深田作品・・・。この監督・・・変態です。。。
※あくまで個人の妄想です。
ほんとこの映画と監督の醍醐味は黄色い風船と
雨の中・・・踊っている妙子のシーンだと勝手に感じています。
後ろ姿だけで演出して・・・。
観客の想像に全部、表情もなんもかんも丸投げる演出♫
観客のみなさん・・・この話、勝手に想像してくださいね(⋈◍>◡<◍)。✧♡
・・・って監督の声が聴こえるようでした。
ホームレス支援のNPOで働く30歳過ぎの妙子(木村文乃)は、4年前に失踪した夫との間にできた息子・敬太(嶋田鉄太)を連れて、役所の福祉課に努める大沢二郎(永山絢斗)と一年前に再婚し、大規模団地で暮らしていた。
3人が暮らす部屋は、かつては二郎の父母(田口トモロヲ、神野三鈴)が暮らしていた部屋で、次郎の父母は隣棟に越していた。
近い距離である。
その日は、敬太の少年オセロ大会優勝を祝う日であったが、二郎の父は、息子の結婚をこころよく思っておらず、わだかまりがあり、敬太の祝勝会への出席を渋っていた。
が、どうしても二郎は父に来てほしかった。
なぜなら、その日は父の65歳の誕生日でもあり、二郎の同僚たちとともに父の誕生日をサプライズで祝おうと準備をしていたから(二郎の父は元福祉課の部長であった)。
わだかまりが解けようとしたその日、楽しい雰囲気の中、悲劇が起きる・・・
といったところからはじまる物語で、悲劇は敬太の事故死である。
その後、葬式の場に失踪してた妙子の前夫(砂田アトム)が現れ、家族間に不穏な雰囲気が流れる・・・というのは、前2作『淵に立つ』『よこがお』とよく似た雰囲気。
妙子の前夫パクは韓国籍で聾唖。
妙子の「彼を助けなくちゃ・・・」という思いが沸き立ってくる。
息子事故に責任を感じていることの埋め合わせ、代償のようなものである。
このあと、二郎の母のキリスト教への入信、父母の引っ越しがあり、二郎はかつての恋人(山崎紘菜)に対して熾火が再燃するような気持ちになる・・・と出来事が展開します。
ストーリーを書くのはこれぐらいにして、個人的にはこの映画、とてもおもしろかった、興味深かったです。
映画は、コトと登場人物たちのココロによって展開していくのですが、コトとココロの両輪のバランスがとてもよい。
ただし、登場人物のココロについては、誠実/不誠実の間を常に揺れ動いていて、不誠実な方向でコトが動いていきます。
妙子の前夫パクへの思いは、愛とも言い換えることができるかもしれないが、弱者への支援をすることでの自己の存在証明のよう。
二郎の妙子への思いは、中盤、セリフでも語られるが、「前夫を必死になって探す妙子の姿に胸を打たれた」とのことから元カノを振ってしまうので、妙子の前夫パクへの思いと似たようなもの。
ふたりの心は、ともに互いに寄り添っていない、互いの方を向いていない。
いわば、不誠実な、共犯関係のような後ろめたさがつきまとっている。
この共犯関係的後ろめたさがあるからこそ、終盤、危篤の父親のもとへ駆けつけると言うパクの後を追って、パクに随行して渡韓する妙子を、二郎は黙認するのだろう。
互いの方を向いていないのは、二郎の「敬太の死の直後に思ったことは、はやくふたりの子どもをつくらなくちゃ、だった」というセリフや、互いが互いの目を見て話さないという所作に表れています。
不誠実なのは、二郎の母も同様で、当初は二郎の妙子との結婚を祝福しているが、敬太の死後、実は二郎の父以上に毛嫌いしていたことが示される。
(敬太の遺体を、思い出の部屋へ戻してほしくない、と強硬に反対する)
その意味では、はじめからわだかまりや不快感を露骨に示す二郎の父は誠実ともいえるでしょう。
自身が感じている不安なこと不快なことなどのネガティブな感情を素直に表すことを誠実というならば、啓太の葬式で怒り、妙子をなじり殴るパクは誠実な人ということができるかもしれませんが、最終盤では妙子を裏切るので、誠実とも言えません。
そして、パクは、妙子が思うような「守られてしかるべき人」でないことがわかる最終版は、なんだか可笑しくて笑いがこみ上げました。
『淵に立つ』『よこがお』ではサスペンス仕立ての崩壊劇を描いた深田晃司監督は、本作では一歩踏み込んで、どうしようもない人間の愚かさ、業のようなものを描こうとしたように感じました。
(最終盤、雨に打たれながら韓流ポップスに身をゆだねて踊る妙子の後ろ姿に、森崎東監督作品を想起しました)
もとの部屋へ戻った妙子と二郎が互いに向き合い、妙子が二郎に「ちゃんと目を見て」と言ったあとに「LOVE LIFE」と出、映画のモチーフとなった矢野顕子の曲が流れはじめ、長いエンディングのワンショットとなります。
このあとのふたりの生き方(LIFE)に、誠実な気持ち(LOVE)は訪れるのかどうか・・・
ここまでは「LOVELESS LIFE」でしたからね。
<追記>
ベランダにつるされた鳩のフン除けのCDが演出効果を高めています。
いわゆる、「おまじない」ぐらいで、効果はわからない、と妙子が言うとおり、心の平安を願う「魔除け」「お守り」の暗喩。
そのCDが、外の光を反射して部屋の中を照らしたりもして、「神の啓示」とも受け取ることができますが、「ただただ反射しているだけのモノ」とも受け取ることができます。
映像効果を高めるとともに、相手の心の中の「反射」、自身の心の中の「反射」の暗喩かもしれません。
『LOVE LIFE』を鑑賞すると、この歌詞が「距離的」なものだけでなく、「心理的」な意味も含まれていることに気づくことができます。
まるで、この映画のためにつくられたかのように感じてしまう矢野顕子さんの「LOVE LIFE」。そう思わせるほどの深田晃司監督の脚本力に圧巻です。
素敵な映画は、みた直後、その魅力に気づく力が鈍くなる気がします。個人的にそれは、その映画が観客に寄り添い、共感性が非常に高まる故だと考えます。『LOVE LIFE』も特にそうでした。
しかし、み終わって、時間が経つにつれ、じわじわと感情が高ぶり、矢野さんの「LOVE LIFE」が染み入ってくる。何とも言えない気持ちです。
終始、感情をはっきり表出しない男女の気だるい雰囲気の映画。
ある解説者が「オセロの様にそれぞれの立場が変わる」と言っていた。
しかし、創作だから自由にできるかというと、人間には感情の動きがあるために、好き勝手にとはいかない。
その感情に繊細に触れたものは人を感動させ、触れられなかったものは見る人を映画館の中に置き去りにしてしまう。
深田晃司監督の脚本は綱渡りだ。
ごめんなさい、すみませんと言っては、感情にまかせた言葉を使い、ストーリーはあらぬ方向へと展開し、描く題材はとても少数派の、どちらかというと不幸を描く。
ドライブマイカーも韓国に飛んだが、この映画もなぜか韓国に飛ぶ。
義理の父親の「中古」や、義理の母親の「今度は本当の孫が見たい」というセリフは、なにかモデルがあるのだろうか。
日本人はあまりそういったことを面と向かって言わない。
ラストは夫婦で散歩に出た。二人で話す様子もなく、どちらかが前を歩き、どちらかが後ろを歩く。
その先には明るい未来はあるのだろうか。小さな器に、たくさんのものは乗らない。
脚本の中で作り上げた架空の人間たちは、架空の世界の中で本来の世界に帰っていくことだろう。
そして、幻のように消えていくのみだ。
#157