「頭山」の山村浩二に師事し、テレビアニメ「TRIGUN STAMPEDE」のエンディングアニメーションも手がけるなど活躍するアニメーション作家の矢野ほなみが、2年の歳月をかけて完成させた短編アニメーション。日本のとある小さな島を舞台に、父親のお葬式で少女が思い出す、父と過ごした最後の夏を描く。第45回オタワ国際アニメーション映画祭の短編部門でグランプリを受賞、第25回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で新人賞を受賞するなど、国内外で高く評価された。山村浩二監督の長編「幾多の北」とそのほかの2本の短編とともに「『幾多の北』と三つの短編」(総上映時間:90分)と題して劇場公開。※タイトル「骨噛み」の「噛」の字は旧字体が正式表記
骨噛み評論(2)
少女時代に父を亡くした矢野ほなみ監督自身の体験をもとに描かれる、独特のテイストをもった点描アニメーション。
点描は、突き詰めた具象表現としての「光の点」ではなく、あくまで「筆法」として用いられているので、雰囲気としてはジョルジュ・スーラ以降――たとえばナビ派とかの使い方に近いのかな。
点描と同じくらい印象的なのが、ぐるぐると動き回るカメラワークの視点で、アニメでしか表現不可能な回り込みや、デフォルメで世界を歪ませるような演出が徹底的におこなわれていた。
そこには、幼少期特有の世界に対する不安感や、いつも多動ぎみに突っ走っている抑えきれない衝動といった、主人公の少女の心理状態なんかも反映されているのだろう。
たしかにお葬式の話ではあるのだが、むしろフラッシュバックした過去の記憶パートのほうが長くて、幼い姉妹の田舎(瀬戸内海の大島)での海遊びや父親との思い出が、じんわりと胸にしみてくる。
お地蔵さんにかしわ手打っちゃだめだろ、とか、「くれのぐんこう」「まっくろなかやくこ」「まっくろになったさかな」あたりのワードセンスはいかにもだなと思ったりもしたが、総じてノスタルジックだがちょっと陰りのある描写は、じつに個性的だ。
観ていて、監督の秘密めいた過去の記憶をこっそりのぞかせてもらっているような、なんともいえない気持ちになった。
「骨を噛む」というのは、『東京タワー』でリリー・フランキーが盛大にやらかしていたが、もともと「ひとかけら口に入れる」風習が、西のほうでは実際にあるらしい。
「やけたほねは クレヨンのにおいがしました。」
たしかに! うちの祖母ちゃんの骨も、そんな感じがしたよ。
ラス前の台詞は、ある種の「悔恨」含みなんだろうな……。
そこまでうるさいくらいにカメラ視点を動かし続けていたのに、最後の最後になって視点を固定し、代わりに画面から「色」を抜いて行った演出は、とても効果的だったように思う。
あと、物語を朗読していた少女の声が、とてもしっくり合っていたのも良かった。
ついでに、こんなことを書くとルッキズムだなんだと怒られそうだが、会場で登壇&サイン会をされていた監督は、凛とした美貌のきわだつとても雰囲気のいいお嬢さんでした。
『ミセス・ノイズィ』の天野千尋監督のときも思ったけど、こういう若い才能がこれからの映画界を支えていくんだなあ、と。
そのアート要素にきちんとストーリーを落とし込めている所に秀逸さを感じた
このポジションは絶対廃れないで欲しい、そう願う作品であった