フレディ・マーキュリー The Show Must Go On
プロット
イギリス
02月16日 台灣上映
アリランラプソディ
プロット
日本
02月17日 台灣上映
QUEEN ROCK MONTREAL
プロット
アメリカ
02月22日 台灣上映
ソウルメイト
プロット
韓国
02月23日 台灣上映
ARGYLLE アーガイル
プロット
イギリス・アメリカ合作
03月01日 台灣上映
チェッカーズ 1987 GO TOUR at 中野サンプラザ デジタルレストア版
プロット
日本
03月01日 台灣上映
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映画 聲の形評論(20)
聾唖のヒロインとの恋物語と勘違いされがちだが、映画後半では明確に主人公が抱える「他者とのディスコミュニケーション問題」に焦点が絞られていく。本作では、長い原作から群像劇の側面を敢えて外すことで(原作は後から読んだ)、映画としてひとつの筋が通ったストーリーを紡ぎ出しているのだ。
川井さんがとんでもないモンスター女子なのは映画だけでもわかるが、確かに原作にはほかのキャラクターの内面も事細かに描写されている。どなたかが書いていた映画→原作→映画という流れで観ると二倍三倍楽しめるように思う。
原作の違いで印象的だったのは、主人公の「卑屈なのに他人をバカにしてしまう自己嫌悪」の描写が減っていること。これには賛否あるだろうが、映画では間口をより広く取るために「平凡な一少年」として描いたのだと理解した。
この作品と会うたびに肯定的な事も批判的な事も思うし感動もするしで毎度自分から違った感想が出てくるので非常にまとめづらい。
ただ虐めに関わって悩んでいる人達や周りにいる人達に、背中を押したり支えたり目を向けてもらえないかと、この苦しい問題を変えていくためにどう発信するかを物凄く考えて作られてる事。作者や関わっている人達がこの作品が世に必要な作品だと意志をもって拡散力が確実に上がる映画化だからこそ慎重に心をくだいて作っている事はよくわかる。
気持ちは声として発した時に、向けた相手や投げた方向や投げ方で少なからず形を変えるし相手の受取り方や受取る時の体勢によっても形が変わる。
自分の受取り方の変化も追っていって発見していきたい作品。
原作からのエピソードの刈り込み方絞り方もうまく、これもまたひとつの『聲の形』。×の使い方が原作では新鮮だったが、こちらでは××××××××××××××××××××××。
手話を字幕で処理しなかったのと、ラブストーリーにしなかったのが良かった。
最初はこちらにも伝わらないのだが、劇中で変わっていく将也や硝子を観ているうちに、こちらもなんとなく少しずつ分かるようになってくる。奇しくもコロナ禍中で手の動きだけが手話ではないことを改めて実感させられたなら余計に。そしてそこにはアニメーションであることの意味がある。
小学生将也が松岡さんだが違和感はなかった。松岡茉優だと言われなければ松岡茉優だとわからないレベルを目指してほしい。
この作品はアニメで制作され、二次元であることで、人を多面的に描くことに成功している。
三次元で実写化したら白々しいと思う。
障がいを持つ少女を取り巻く様々な人間関係を子供時代から青年期までそれぞれ描写するのは単純ではない。
各自の中にある悩みや葛藤は平面的に単純な性格や心理描写では描ききれない世界だ。
主人公から見た世界は人の顔にバッテンがついていて、それが、あるタイミングでぺろっと剥がれる。同時に異音が響く。
こういった描写もアニメだからこそすんなり受け入れられるし、面白い設定だと感じた。
実写でやると陳腐になることがすんなり受け入れられるし、最大限の効果をもたらしている。
手話がわかる人が観ても手話を見せず明かさないシーンを取り入れることでより、その時伝えようとした事が後からくっきりと浮かび上がってくる。
母親2人と少年みたいな妹のそれぞれの立場からの愛情も大変多面的だ。彼女たちは脇役でありながらもその辺の実写映画よりも深いところまで心のうちが描かれているのだ。独白も説明ゼリフも全くないというのに。
花火のシーンが美しくも悲しい。
生きることを手伝い合う事で生きていくことを選択し続けてほしい。
日本が世界に誇れるアニメの中でもかなりの良作だ。