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暗黒街大通り プロット 日本 04月25日 1964 台灣上映
サイアム・サンセット プロット オーストラリア 10月13日 2001 台灣上映
歓楽通り プロット フランス 03月01日 2003 台灣上映
サンセット物語 プロット アメリカ 09月01日 1966 台灣上映
マルチュク青春通り プロット 韓国 07月16日 2005 台灣上映
カンヌ映画通り プロット スイス 05月06日 1988 台灣上映
サンセット大通り評論(12)
豊かな主題を名人芸で描き分ける Billy Wilder――。益々 虜になりそうよん◎
クライマックス、得体の知れない感動に襲われて、涙が止まらなくなった。
ノーマ・デズモンド(とその仲間)最高。
私が無人島に持っていく1本はこれ。
多作な上バラエティに富んだジャンルに傑作を遺すビリー・ワイルダーは、ストーリーテラーの達人。恩師エルンスト・ルビッチと映画の王様アルフレッド・ヒッチコックを足して、さらにダークにした感じの独特な演出タッチを持っている。コメディー映画でもアメリカナイズされた明るさより、ドイツ風な暗さを感じさせます。その中で、一番の特長は、映画を愛していること、映画に携わっている人たちを大切にしていること。その一端はキャスティングだけで十分に窺える。
セシル・B・デミル監督の「男性と女性」などに主演したサイレント映画のスター、グロリア・スワンソンが演じるノーマ・デズモンドが放つ不気味さ。忘れられた大女優役を堂々と演じる誇り高きスワンソンの女優魂が凄い。同じくサイレント映画の巨人エリッヒ・フォン・シュトロハイムの冷徹と献身を兼ねる執事の存在感。さらにサイレントから活躍を続けるセシル・B・デミルが本人役で温厚な人格者をみせて、哀愁漂うバスター・キートンもカメオ出演。ユーモアを完全に排したシニカルな内幕暴露映画で”映画”を賛美するワイルダー監督独自のユーモアが素晴らしい。
ラストは、報道人からフラッシュを浴びてサロメを演じる、狂気のデズモンドに圧倒されます。ヨカナーンことウィリアム・ホールデンを殺めてニュース映画のサロメを実演する物語の結末まで、練りに練られた脚本の完全な映画化。
それは次から次へと、新しい人物の人生を生きる仕事、つまり長い時間を自分ではない誰かとして生きていけるとも言えます。
ノーマは、過去に大スターでしたが、彼女は今も大スターの人生を妄想の中で歩んでいます。
妄想の中だけで生きられるのは、ある意味幸せなのかもしれません。
現実がどうであれ、一生自分の思い通りの人生を演じることができるのですから。
ハリウッド映画界の内幕物といえるが、その栄枯盛衰にあって取り残されたとも知らず、否、そうである事を受け入れることが出来ない往年の大女優の悲劇である。
冒頭、背後から銃で撃たれプールに浮かぶ三文脚本家ウィリアム・ホールデンの回想という倒置的な設定をとり終末を提示する。そこからホールデンのナレーションで舞台は半年前に遡る。
自己の脚本が売れず車のローンに追われ貧窮の生活をおくるジョー・ギリス(ウィリアム・ホールデン)がふとしたきっかけで往年の大女優ノーマ・デスモンド(グロリア・スワンソン)の荒れ果てた庭の大邸宅に迷い込む。そこで一時は追い返されるがジョーが脚本に携わると言う事でノーマの脚本の添削を頼まれそれがきっかけでジョーはそこに宿泊することとなる。その大邸宅にはクールでコツコツと任務をこなし忠実にかしずく執事マックス(E・V・シュトロハイム)もいた。
ノーマはジョーに高価な装飾品や衣服を買い与えていくうちにジョーに抜き差しならぬ情愛が乗り移っていった。しかしジョーは次第にノーマの情念の虜でいることが疎ましくなってゆく。
ノーマは容色衰えたりとも大女優であるという確信揺るがず往年の栄光にしがみつき銀幕に復帰する事を信じて疑わない。
一方ジョーは顔見知りの若いベティ・シェファー(ナンシー・オルスン)と再会し、ジョーの脚本の書き直しを共にすることになる。そのため毎夜ノーマの屋敷を空ける日々が続く。やがて婚約者がいるのにベティはジョーに愛を告白する。
ノーマはそれを察知し嫉妬のあまり手首を切る。
それを知ったジョーは邸宅を訪ねてきたベティにすべての真実をぶちまける。そして荷造ろいをして邸宅を出て行こうとする。
半狂乱になったノーマはジョーの背後に向けて銃を三発発射する。
この事件に駆けつけた警察官や新聞記者らの質問尋問に狂気したノーマはキャメラやフラッシュを本物の撮影だと思い込みマックスを撮影監督に見立て静々と階段を降りながら自作に迫真の演技をする。まさに凄絶な幕切れである