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男はつらいよ 拝啓 車寅次郎様評論(9)
寅さんのマドンナかたせ梨乃、満男のマドンナ牧瀬里穂、ともに中途半端な扱いとなってしまった。特に牧瀬はゴクミに代わる新マドンナのポテンシャルを秘めていただけになんとも残念。シリーズが続いていたら…
かの凡庸な一作を支えたのはやはりさくら。柴又のシーンの安定感、感じさせる家族愛。本作のみならず、シリーズ最大の功労者、間違いない。
靴の営業という仕事に自分が向いてないんじゃないかと悩んでいる満男に対して、寅さんは「この鉛筆売ってみな」と営業の心得を説明するシーンがいい。脚本があるんだろうけど、この売り方は上手い。だけど60円が20円になっちまった。
寅さんは琵琶湖のほとりで人妻写真家のかたせ梨乃と出会い、満男は先輩の妹である牧瀬里穂と出会う。実は、先輩は満男に妹と結婚を前提に付き合ってみないかと相談をもちかけてきたのだった。祭りがかなり映画に取り入れられ、子ども歌舞伎の雰囲気も伝わってくる。祭りをこれだけ長く撮ったのもシリーズ初じゃないでしょうか。
細かいこと言うと、満男が長浜に着いた時に乗ったタクシーが数カットあるのですが、最初のカットでは乗務員証が無かった。こんなことに気づくのはタクシーばかりに目が行くせいだ。
もう一つ興味深かったのは真宗大谷派長浜別院大通寺。ここに加賀千代女の句があるという。満男は帝釈天のこともあってか寺が嫌いだったようですが、長浜に行くことがあれば訪れてみたい寺だ。代表句「朝顔につるべ取られてもらい水」
かたせ梨乃の役は人妻。別れてもいないし、夫を愛してないというだけ。どうも寅さんのマドンナとしては成立しないような中途半端なエピソードだったし、満男と牧瀬里穂との縁談話も中途半端で終わってた。
「男はつらいよ」シリーズ第47作。
Huluで「HDリマスター版」を鑑賞。
満男が無事就職して半年。仕事について悩んでいた矢先に、大学時代の先輩から手紙が届き、地元の山鉾祭を見に来ないかと誘われました。相談したいこともあるらしく、休暇を取って一路琵琶湖の畔の街・長浜へ…。
偶然、寅さんも長浜にいました。当地で出会った写真家の典子と意気投合。左腕を脱臼した彼女を介抱するなどして距離を縮めていきましたが、彼女にはすでに夫と娘がいて…。祭の日、夫が典子を連れ戻しに来て…。
一方、満男は先輩の家に厄介になっていて、先輩の妹・菜穂に恋心を抱いていました。祭の日、勇気を出して「付き合ってる人いるの?」と訊くも煮え切らぬ返事…。そこへ寅さんが通り掛かり、素晴らしい助言をくれました。「いたっていいじゃねぇか。そいつと勝負すりゃあいい」。菜穂にも「こいつを頼むぜ」と言って、人混みに消えてしまう寅さんなのでした…。
先輩が言っていた“相談”というのは…「妹をもらってくれねぇか?」…やっぱりねぇ…(笑) 菜穂の気持ち次第だと満男は言いましたが、当の菜穂は不快感を示し、女の幸せは結婚だなどという旧弊的な考えを押し付けられたくない、自分の幸せは自分で選び取りたいと反発。兄とグルになった満男も嫌いだと言って、一旦は振られた形となった満男なのでした…。
そしてお正月―。
失恋の後遺症で年明け早々クサクサしていた満男の元に、振られたと思っていた菜穂が訪ねて来た! すっかり機嫌が治ってしまい、土手の階段を軽快に駆け降りる満男。その顔には満面の笑みがあったのでした…。
――
娘と歩いている典子の幸せそうな様子を見て、「俺の気は済んだ」と言い、彼女に会わずに身を引く寅さんの背中に漂う哀愁が堪りませんでした。
【余談】
タイトルは「拝啓天皇陛下様」のオマージュ?
映画「男はつらいよ」(山田洋次監督)から。
(何作目かわからなくなりました・・すみません。
とりあえず、レビューをしたかったので。(汗))
私は何のために生まれてきたんだろうって、考える時が、
誰にだってあるはずである。
私も、40歳を超えた頃からよく考えるようになったが、
結局は結論が出ずじまいで終わり、今に至っている。
ところが、ちょっとしたヒントをこの映画で見つけた。
「なんていうかなぁ、ほら、アー生まれて来てよかったなって
思うところが何べんかあるだろう。
そのために人間は生きてんじゃねぇのかなぁ」
これって、答えになっていないかもしれないけれど、
なるほどなぁ・・って思ってメモをした。
「○○のため」と定義しなくても、
とても幸せな気分に包まれて、アー生まれて来てよかった・・
と思うことは、何度もある。
そんな気分を味わうために、生きているらしい。
そんなこと言ったって、と反論する人もいるだろう。
しかし、きっと何度か、そう思う時がやってくる。
そう信じて、毎日を過ごすこともいいんじゃないのかな?