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ラフマニノフ ある愛の調べ評論(5)
この映画ではラフマニノフがロシアの貴族の家庭に生れ育ったのち、デンマークを経て40代半ばで渡米し、70歳を目前にして亡くなるまでの彼の後半生の殆んどが、コンサートピアニストとして仕事をする事になってしまった、その苦悩する彼の日々を描いている。
彼は良き演奏家であると同時に、良き作曲家でも有り続けていたいと願う、この2つの才能の両立が思うままに出来ずにアメリカでの生活を送るが、この彼の人生を観ると人生は選択の連続と、その結果の連続性に集約される事をつくづくと思い知る。
ラフマニノフはリストと並び作曲家であり、素晴らしい演奏技術をも誇る演奏家で有るために、彼らの作曲したピアノ曲は難易度が高いと言われている。
「天は二物を与えず」とは言われて来ている事だが、時として本当に彼らの様に作曲はもとより、演奏家の才能をも発揮する天才がいるが、凡人の私には只の我が儘な悩みとしか映らないが、常に亡命やピアノ教師との関係、女性関係と人生の選択に苦悩する彼。
世の大半の人々は1つの才能に恵まれる事を願い続けて日夜努力を惜しまず働き続けても、その生涯で才能を手にする事が出来ない。その素晴らしい才能を2つも得ているのだから!
彼は幸せな筈だ。逆に本人は才能も有り、名声も冨も得ているのに、その他に何を望むのかと友人達からも羨望の眼差しを受ける。才能が有るが故に才能の浪費をせずに、より多くの自分の内なる才能をより良いかたちで発揮したいと願う事は自然の流れで、人が生きる為に呼吸を無意識でするのが自然な営みであり続ける様に、才能の浪費をせずに、活かす事こそは、彼の自然の理に沿った生き様だったのだろうか?それだからこそ芸術家と言う職業人は逆に才能を活かしてゆく事が出来るのかも知れない。留まる事を知らずに、ただ只ひたすらに走り続ける人生を選ぶのが天才なのか?その自己の内面をストイックな迄に信じ続け突き進む事が可能な神経を持ち合わせている事が、天才の条件なのかもしれない。するとやはり天才にも、「ローマは一日にして成らず」と言う事なのかとも思う。
1918年にアメリカに亡命したラフマニノフは、NYのカーネギーホールからアメリカ全土を巡業し演奏興行を続けた。この時代は、丁度英国から渡米し、映画界で一躍人気を博していたチャールズ・チャップリンがハリウッドのラブレア通りに専属のスタジオを構えた年でもある。こののち時代は世界経済恐慌へと続き、世界大戦へと進んで行く歴史の中で、ついにラフマニノフは故郷の土を踏む事はなく亡くなるが、彼の心の中にいつも生き続けていた情熱は白いライラックの花に象徴される故郷への望郷以外の何物でも無かったようだ。その想いを支え続け、作曲へと向かわせた妻ナターシャの存在こそが彼を生かしていたのかも知れない。映画では、人の生涯の何処に焦点を当てて描くのかそこが分れ目だ!
男性だと 相手はミューズ扱い(笑)
ラフマニノフの場合、ライラックの花束を匿名で送り続ける熱狂的ファンがいたりして、女性ファンの数は多かったが、その女性関係は極めて普通
登場した3人の女性のうち、1人は嫁
アンナは愛人説ありだが、革命家マリアンナ(モデルはマリエッタ・シャギニャン)はかなりの創作が…
ラフマニノフは文学、絵画等からもインスピレーションを受けていることは描かれていない
また彼は長身(2m近い)で巨大な手が有名なピアニストでもあり、彼に寄り添うスタンウェイの男により大柄な俳優を起用するのは、どうなのか?
最後は家族愛でまとめられてるが、凡庸
クラシックファン、ラフマニノフファンでもないのに これだけの齟齬が目につく
ラフマニノフの名を冠した映画でもあるので やりすぎには悪意も感じる
総合:65点
ストーリー: 60
キャスト: 70
演出: 70
ビジュアル: 75
音楽: 80
孤独、怒り、絶望、不安、情熱。そのようなものが入り乱れて場面をかき乱し、美しい彼の音楽を奏でているときも過去を振り返るときも、常に緊張感が漂う。不幸な生い立ちもあって、彼には心休まるときが無い。何かに怯え、何かに怒り、何かに突っかかっていく。家庭環境と政治体制と音楽、そのようなものにいつも振り回され続ける、天才の脆い精神。映画を見るまで私は知らなかったが、交響曲第一番の失敗や精神をおかしくしたりというのは史実らしい。映画全体でどこまでが事実でどこまでが創作なのかわからないのだが、見ている側もまた心休まるときが無い。
物語は彼の経歴から恐らくあることないことを片っ端から詰め込んだというもので、神経質な彼の姿以外には一貫性はない。ひたすら苦悩している彼の姿が描かれ、そしてそれらを全て浄化してしまう「パガニーニの主題による狂詩曲」の登場。透明な旋律が長年の苦悩も何もかも洗い流していく。恐らくそれまでのことは全てこの場面のための伏線、そういう芸術的作品。
映画「ラフマニノフ/ある愛の調べ」(パーベル・ルンギン監督)から。
ストーリーとは、関係ないのかもしれないが、
天才ピアニスト、セルゲイ・ラフマニノフは、
ある女学校で、教鞭をとることになる。(音楽の先生?)
生徒たちに「気楽に・・」と指導したところ、生徒の一人が声を発する。
「気楽にしていてはダメです。」と前置きをして、
「天才には、そんな権利はありません」と言い切るシーンが記憶に残る。
天才には「のんびり」とか「気楽に」という言葉が似合わない。
そんな気持ちが伝わってきた。
天才として、この世に生を受けたからには、一気に駆け抜けて下さい、
そんな心の叫びまで聞こえてきそうな台詞だった。
彼にとって、その台詞がどう影響したのか・・ちょっぴり気になる。
しかし、最後には「天才作曲家」としても成功を収めるのだから、
「天才には、そんな権利はありません」は、インパクトがあったなぁ。
ロシア映画とフランス映画は、どことなく似ている。
私の勘違いだろうか?