君を見つけた25時
プロット
香港
05月22日 1999 台灣上映
小説家を見つけたら
プロット
アメリカ
03月10日 2001 台灣上映
咬みつきたい
プロット
日本
06月01日 1991 台灣上映
ぼくが天使になった日
プロット
アメリカ
06月09日 2001 台灣上映
いただきます みそをつくる子どもたち
プロット
日本
10月07日 2017 台灣上映
君が、嘘をついた。
プロット
フランス
06月14日 1997 台灣上映
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きみがぼくを見つけた日評論(20)
恋愛モノでこうしたSFは合わないのか?そうじゃないだろう。あくまでも感情線にて観客を引っ張っていかねばならなくて、その点が時空を超えすぎてしまった・・・といったところか。そして、恋愛感情そのものよりも、二人の生活、出来事、等に縛られ過ぎていたからかもしれない。そして、“死”・・・
だけど、序盤には恋してしまいそうなほど女の子に夢中になる(男なら)し、終盤には子どもに夢中になることができる。タイム・トラベル能力が遺伝するというのは面白い設定だけど、これまでの映画では、自分自身に会うことや会話することが不文律として禁じられていたように思う。そうした違和感と中だるみさえなければ、もっと素晴らしい作品になったに違いない。
『きみに読む物語』のレイチェル・マクアダムスをイメージしてか、邦題を似た雰囲気にしたんだろうけど、安易だよなぁ。
・その後、明らかになっていく幼きクレアの前に現れた、衣をまとったヘンリー(エリック・パナ)と二人との時空を超えた交流。
それ以来、クレアは時折現れるヘンリーとの出会いを日記に書き留めていた。
・そして、二人の晴れての結婚式に流れる、”Joy Division”の「Love Will Tear Us Apart」
ーこの曲の”意味合い”を考えると、その後の二人の運命を暗喩しているのだが、印象深い。-
・ヘンリーの子を身籠るクレアだが、2度も流産してしまう。ヘンリーは”自分の血のせいで”飛行してしまう・・”と考え・・。
ーここが少し、映画では分かりにくいのであるが、パイプカットしたヘンリーは消え、過去のヘンリーがクレアと同衾し、クレアは身籠るのである。-
・順調に大きくなるクレアのお腹の子供。だが、ヘンリーは未来にタイムトラベルした際に、クリスマスイヴに死を迎える事を知ってしまう。
クレアは、女の子を出産し、ヘンリーと考えた名前、アルバと名付ける。アルバは聡明な女の子に育つ。
・”予測通り”ヘンリーは自分の叔父の猟の際、動物と間違われ銃で撃たれ命を落とす・・。だが、タイムトラベラーであるヘンリーは死後も愛する娘アルバと会い、話をし、妻と娘の姿を見守る・・。
<タイムトラベラー映画は、中々に映像化が難しく、この作品も一部分かりずらい所があるが、原作が優れていることもあり、不可思議だが切なくも余韻の残るタイムトラベルラブストーリーの秀作になっている。
それにしても、幾つになっても、歳を取らないレイチェル・マクアダムスは実はタイムトラベラーではないかと、最近真面目に思っている。>
タイムトラベルに服は持ち込めず、裸で飛ばされるのはターミネーターと同じ。
最後、鹿と間違えられて猟銃で撃ち殺されてしまうのはえらい災難だ。
ただ、死んだ後も家族と会えるというのは少しばかりの救いかもしれない。
終わりかた好き。
邦題に惹かれて観ました。
個人的には「きみに読む物語」より好き。レイチェルマクアダムスの良さがこっちの方が出ている気がする。
タイムトラベルものは結構あるけど、何度みてもやっぱり切ない。
お互いを想えば想うほど、時間という波に共に乗れない辛さが増していく。
でもそれを乗り越えることが出来たからこそ、子どもも生まれ、死さえも受け入れることが出来たんだと…勝手に…解釈…。笑
タイムトラベルはふたりにとって最大の問題だったけど、最後にはそれが唯一の希望の光になった。
いつかまた会えるかも、っていう微かな光をずっと持ち続けて生きることになったクレアが本当に幸せかは分からないけど、それでもラストは幸せな気持ちになれます。