QUEEN ROCK MONTREAL
プロット
アメリカ
02月22日 台灣上映
マリア 怒りの娘
プロット
ニカラグア・メキシコ・オランダ・ドイツ・フランス・ノルウェー・スペイン合作
02月24日 台灣上映
明けまして、おめでたい人
プロット
日本
03月01日 台灣上映
水平線
プロット
日本
03月01日 台灣上映
シークレット・キングダム ピーターの奇妙な冒険
プロット
オーストラリア
03月08日 台灣上映
π パイ
プロット
アメリカ
03月14日 台灣上映
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LETO レト評論(13)
人気バンド・ズーパークのボーカルでプロデュース能力もあるマイク、妻のナターシャ、マイクに才能を見出されるヴィクトル(のちに「キノ」のボーカルとして成功)という、実在の人物3人が話の中心。社会主義体制下で表現活動や聴衆の挙動まで統制される灰色の時代に、彼らが追い求める自由の象徴としてロックが鳴り響く。
劇中で流れるズーパークやキノの曲を知らなくても大丈夫。70~80年代洋楽のオリジナル音源やカヴァー演奏(T・レックス、ルー・リード、トーキング・ヘッズ等々)が意匠と遊び心に満ちた映像と共に流れ、音楽好きならきっと楽しめる。
アニメーションもまるでMTV!
あと、あの頃のソ連の生活感が見えた(ような気がする)。
ソ連崩壊間近では西側の曲も全然オッケーだったのにも驚き。
あとジーパンもOKみたいだったし。
共産圏はなんとなく貧しいよね…
子供の頃を思い出す…
彼らの運命のようにロシアの短い夏より... Leto.
この映画のロケ地はロシアのサンクトペテルブルク... この地は文化的にも商業的にもロシアの重要な都市として、またロシアのキリスト教 教会の中心地をなす東ヨーロッパの共産圏の立場において、第二次大戦時のドイツ軍による900日の包囲網を勝ち抜いた市民自体が英雄とされる土地。
戦時中にこの一都市だけで100万人の犠牲者を出したとも言われ、しかもドイツ軍に制空権を握られた上、巨大食料庫も破壊されたことによって、ほとんどの方の死が、餓死によるものとされている。サンクトペテルブルクの死者だけで日本の国内での犠牲者を上回る数にのぼるとも(映画「セイビング・レニングラード 奇跡の脱出作戦」より)...
映画の始まり... 映像は"coming of age" 前後の若い女性がバスルームを通り抜けて、監視員からの目をそらし、数名からなる彼女たちは、今始まっているコンサート会場に直接バックステージから客席へ... その時、The Doorsの- ”Hello, I Love You”の曲にベーシストを施したようなサウンド”(You're A) Scum”から映画「デッドプール」で見られたような第四の壁を打ち破る映画が始まる。このシーンだけで80年代のロシアの若者たちが起こす弾けた文化を取り締まる国側の監視体制を視覚的に分かり易く描かれている。しかし、西洋のロックコンサートとの類似性はそこで終わることとなる。それは何故か?... その当時のロシアのバンドは、共産党認可のクラブで演奏しなければならない上に、歌詞を検閲され、狭い薄べったい顔の見るからに威圧的な監視員によって、若いファンが席で落ち着いて静かに演奏を聴くだけで、各曲の終わりに礼儀正しく拍手する以上の騒がしいことをさせないでいる。でも当局が西側のロックミュージックのコピーを許されなくてもパンフレットに載るブレジネフの顔には、”On Youth.” の文字が...
Upon request of many listeners, we'll now play a song by the band
"Heads That Talk" entitled "Maniac Killer". No, I can't seem to face
up to the facts, I'm tense and nervous and I can't relax. I can't sleep
because my bed is on fire. Don't touch me. I'm a real live wire.
先日、観賞したナオミ・ワッツ主演の映画「ウルフ・アワー」でも取り上げられていたサイコ・キラー、通称日本ではサムの息子と呼ばれ、トーキングヘッズ本人たちは関係が無いと否定しているけどもあまりにもタイムリー過ぎる曲... トーキングヘッズによる ”サイコキラー(1977)” 。映画では、列車の中でバンド仲間が西側のケバイ衣装に身を包み、かなり不愉快に振る舞いをしているところを退役軍人である戦争のベテランから怒鳴りつけられる。彼の年老いたコンサバ要求に応じて、警備員が若い彼らの一人を殴りつけ、彼の鼻を折る場面。この場面で鼻を折られたアレクサンダー・ゴルチリンが鼻血を流しながら、”サイコキラー” を彼の持ち前の若さ溢れる爆発したパフォーマンスで電車内を駆け巡りながら歌っている。それと同時に編集方法も凝っていて、ポップなアニメーションやモノクロ映像に輝いた紅赤などをただの白黒パレットに忍び込ませるように配色をした異色な映写方法で、実写とアニメを融合したようなハイブリッド・ミュージカル仕立ての映像になっている。見ている側としたら凄く楽しい時間を過ごし、見ているだけでワクワクするような工夫がされている。個人的には、後にも先にもこのシーンだけが、最高なところと思える...?
サウンドトラック・イギー・ポップ "Passenger" .... ボウイのツアーも一緒に回るほどの親しい友人同士... イギー・ポップを知れば、ボウイと関係などが見えてきて... 特に曲"Passenger"は1977年にボウイがバックコーラスとして参加している伝説的な逸話も存在する。このことを知れば、彼イギー・ポップの過去からの時系列につづられる苦悩と孤独感がボウイとの和解にも通じ、また今は亡きデヴィッド・ボウイが何故”世界史上、最も影響力のある音楽家・アーティスト”なのかをその和解からの一編でイギー・ポップの人としての立ち直りをボウイがサポートしている事が手に取るようにわかる。そのことでデビッド・ボウイというある意味神格化した人物のカケラを読み取ることができるかもしれない。この逸話... ボウイがイギー・ポップ "Passenger"でバックコーラスも務めた関係性をこの映画の監督が、ヴィクトルとマイクに投影しているようにもインスパイアしているようにも映る。個人的勝手な解釈として... でも監督のもう一つ別の違った方向性の存在と描き方において... ニューウェーブの流れに沿って、ペレストロイカ前夜のレニングラードのアンダーグラウンド・ロックシーンの影の歴史を通して、セレブレニコフ監督は支配的な社会秩序に対する不満や矛盾を伝える為にプーチン政権下で当時のソ連の抑圧的で歓迎されない持続しない音楽であるロックと若者の関係をレンダリングし、視覚化している。
It's 25 degrees in the city - it's summer!
The trains are full to bursting,
Everyone is heading for the river.
One day feels like two, a night feels like an hour - it's summer!
The sun is in a mug of beer,
The sun is in the edge of a glass in your hand.
この映画の3つの重要なものの喪失... ロック映画や反権力映画としての必要悪がこの映画では描かれていない。それは非日常的な描写と禁忌なものへの執着。そして何よりも新しいオリジナリティの追求からの独自性の高い音楽としての言葉。この映画の本編でも歌われ、しかも映画の題名となっている”Leto” ... その内容を知れば必然的で無限の可能性のある象徴的なロックへの完全なる崇拝というテーマとは程遠い代物となっている。それは個人的に映画の受け止め方を勘違いをしていた部分でもあり、映画に対して過剰に期待をし過ぎた部分でもある。それは監督が実際に政府側に拘束されたからって、この映画が、即反権力映画と考えたほうが間違いだという事。
ソビエト連邦崩壊と呼応するように同じ時期に主人公が亡くなることをほのめかしている映画として... サンクトペテルブルク限定の彼らが過ごした瞬間、瞬間に輝いた時を映し、それはまた非常に普遍的な感じもするけども、 若さからの情熱的で愛することについてのほんの一瞬の映像... そして私たちが年を取るにつれて、それら全てのカケラと変化を見届けたいもの。
夏は、結局のところ、永遠に続くことは無いという事の証明...
少し過酷で無下な言い方をすればソビエトのロック映画って、いくら’80年代とは言え、はっきり言って素人目にも泥臭く映り、また見ているものが映画のキャラと同一視ができないでもいる。
南半球にある国で伝説のドキュメンタリー「Woodstock (original title)」をテレビで見た記憶がある。(R-指定なのに!)凄くインパクトのある内容に日本では、テレビで公開は決してされないと思っていたが、何年か前にBSで放送されたと聞く。でも辛口な言い方をすれば、日本なんて近代芸術のない国ではロックなんて言葉すらないチョコザイでシラケた世界では、どのように映ったのか?
それは西の文化とは遮断されていたが、東側にも伝染し、東側の盟主であるソビエト連邦でも若者の気持ちをとらえていく。
当時に比べて今は洋の東西を問わず、体制側の行動はより巧妙になり、直接間接問わず反体制的な動きをコントロールしている。お金も時間を選択肢も格段に増えていることもあり、若い世代には政治に関する関心も期待もない。
大音響でスリーコードをかき鳴らす音楽は倦厭され、chill outのような耳障りの良い音楽が好まれる。
Lenny Kravitzは95年の曲で「rock 'n' roll is dead」と叫んだが、90年に冷戦が終結し、イデオロギー闘争とともにロックも死んだのかもしれない。
本作では冷戦最後のデケイドの下、革命の地のレニングラードで若者たちがシャウトした姿を歴史の1ページとしてモノクロで描いている。ときおり、MVのようにイラストやカラーが入りオシャレでポップな場面が展開されるのも印象的だ。
個人的には、作品中の音楽のクオリティが映画の全体的なレベルを下げてしまっているように思ってしまった。彼らが敬愛するT.RexやLou Reedに及ぶべくものではなく、そもそも70年代で一時代前のアーティストばかり。Kinoの楽曲は60年代のフォークソングのようだ。
しかし、これは彼らのレベルが低いわけではなく、むしろ冷戦下の情報統制が厳しい時代で、よくこれだけ西欧のロック文化を彼らなりに昇華させたものだと驚くばかり。
ひとことでいうと、カッコいいロシア発のロックミュージカル映画。
整然と並べられたパイプ椅子?に姿勢を正して座り、監視されながらステージを観る…応援プラカードも駄目。秘かに踵でリズムを取るだけ。ソ連だった頃ってこんなにも厳しかったのですね。
先ずはこの光景に衝撃を受けました。
マイクの奥さん、ナターシャの可愛いこと!!我らがT34のアーニャ、イリーナ・ストラシェンバウムであります。T34の時目立ってはいけない捕虜の役所だったので、まぁ、それでも美しかったですが、この可愛さには衝撃。
で、お話はなんでそうなるの?と私には理解出来ない部分が多かった。
でもMTV観てるみたいなミュージック・シーンはカッコイイし、ロシアの若者は短い夏を馬鹿をして楽しむのは解りました。