ウッディ・アレンが監督・脚本を手がけ、ニューヨークに暮らす3姉妹と彼女たちを取り巻く男たちの人間模様を軽妙なタッチでつづったコメディドラマ。3姉妹の長女ハンナは舞台女優で、夫エリオットとマンハッタンで平穏な毎日を送っている。エリオットは家庭的なハンナに満足しながらも三女リーに惹かれ、彼女と一線を越えてしまう。リーは画家のフレデリックと同棲中だが、エリオットの強引なアタックに揺れ動く。一方、売れない女優の次女ホリーは仕事も恋愛も中途半端で、ハンナに心配ばかりかけている。そんなある日、ハンナの家に元夫ミッキーが訪ねてきて……。長女ハンナをミア・ファロー、元夫ミッキーをアレンが自ら演じた。1987年・第59回アカデミー賞で脚本賞、助演男優賞(マイケル・ケイン)、助演女優賞(ダイアン・ウィースト)を受賞。
ハンナとその姉妹評論(4)
しかし、この映画のプロットはつまらない。何だかオチが全てのような感じです。画像的には相変わらずニューヨークを魅力的に映像化していて、行ってみたくなります。ギャグに関しては、一人でTV観てるからいいようなものの、映画館で宗教ネタを笑ったらやばそうだ。
忘れてしまうくらい大事件は起こらないのだが、
ニューヨーカーの(知識階級層の)茶碗の中の嵐、
というべき日常を上手く掬いとっている
無声映画のように 場面を区切りながら、話は進む… 俳優達は ジャズのセッションのように演技をする、音楽の趣味もいい
アレンは ニューヨーカーの与太話みたいなものを 得意とする稀有な監督なのであろう
ただ、今の視点で見ると 白人しか出てこない、アレンの周りの狭い世界でもある(ユダヤ人は あり)
そして今、人々が もっと物を掘り下げて シリアスに 考えるようになってしまったことが、監督の感性とずれはじめているような気がしてならない
内容は、三人の女姉妹とその周辺でフラフラする男たちのドタバタ劇。長女のハンナはしっかりもので、なんでも自分で決めていく。それに業を煮やした夫は、次女と不倫します。その一方で、ハンナの元旦那(ウディ)は、すごいマイナス思考男で、心のより所を探して、宗教に走ったりとフラフラしている内に、一番下の妹と結ばれる。他のウディの映画にも共通している、ストーリー性があまりない映画となっています。
ストーリー性がないと、普通なら観てて集中するのがしんどくなってきますが、この人の作品の場合は描かれる人間がほんとにおかしい。男は相変わらず優柔不断で、自己矛盾の繰り返しだけど、それでもなんとかなっていく所が不思議だけど、妙に説得力がある。
物語としていつも破綻寸前の混沌とした人間模様が描かれるのだが、なぜかこの人の作品は、首の皮一枚状態を保ってそのままエンディングを向かえます。おそらく現実世界というのは、ストーリー性などなく、この人の作品のようなものなのでしょう。
それでも人生なんとかなってしまうのだから、やっぱり生きていることって笑いなのだと思います。ドラマ仕立ての作品ばかり観てると、人生は期待と失望の連続になりがちになりますが、この人の作品はそんなものは超越してて、ただただその日その瞬間を面白おかしく、そしてベストを尽くすことが大切なのだなと思わされます。
正直、観終わった直後はいまいちだと思った本作ですが、こうやってレビューを書きながら作品を掘り下げていくと、意外と深いものが心にわき上がってきました。
それにしても、ウディはいつも映画の中でよく歩きますね。
ハンナ3姉妹を中心に繰り広げられるラブコメディ。
マイナス思考のユダヤ人ミッキー(ウディ・アレン)はハンナの元夫。諦観が身に付いているものの、達観には程遠く死の恐怖を和らげたいがため、他宗教に救いを求めたり、自殺を考えたりする。
その彼が余りにもバカげた映画を観ていた時に、悟りを開く。「神はいなくても人は生きて死ぬだけだ。人生を楽しめばいいんだよ。命の続く限り楽しめばいいんだ。その後のことは誰も知っちゃない。そんなあやふやな事で悩まなくていい。今が大事なんだ」
インテリの馬鹿っぷりの描き方はさすがウディ・アレン。だけど、この悟りの部分は賢く生きるためのアドバイスですね。
それにしても身内同士で良くやります。
ラストは、ミッキーと再婚したハンナの妹ホリーの「妊娠したわ」で締めくくらる。
何が起こるか分からないですね。我が人生。