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ヒトラー 最期の12日間評論(20)
とにかく全編ドイツ語であることが新鮮だった(当たり前か)。ユダヤ人大量虐殺や戦争犯罪についても全く触れないことは賛否両論になるのかもしれないけど、秘書ユンゲからの視点で描いたものであり、ばっさりと切り捨てたことは、史実を周知のこととしているためでしょう。降伏という進言を全く受け入れずに毅然とした態度を取る人間ヒトラーを英雄視する人も若干生まれると考えられるけど、「国民を生かすことに意味はない」と断言するシーンもあることから、ナチ賛美や共感を与える目的で作られたのではないハズです。
医者が手足を切断する映像といい、生々しい自決のシーンといい、反戦を訴える映画には間違いないのですが、一瞬ではあるけど、「まるで被害者のように」と感じてしまった自分を反省いたします。こう感じてしまったら『火垂るの墓』を「まるで戦争被害者!」と言って非難することと変わりないですよね。淡々とした流れで、人間ヒトラーと周囲の将校、官僚が中心となってしまったことには問題あるかもしれないけれど、ラストのユンゲ自身の独白によりモヤモヤした疑問は一掃されました。とにかく、昔は天使だったガンツのヒトラーをはじめ、狂気としか思えないゲッベルス夫人の演技によって、崩壊する帝国と人間性が重くのしかかり、現代社会への警鐘をも感じました。しっかりと目を見開いて為政者の行動を注意しなければ!と、今朝の新聞はテレビ欄しか見ていない者が言うべき台詞ではないな・・・
第二次世界大戦のドイツ降伏迄の12日間を、ヒトラーを中心に描く群像劇。
日本で言えば「日本のいちばん長い日」になるのでしょうか?
私は、歴史知識を得る為に鑑賞しましたが、その期待に違わない多くのことを考えさせられた映画です。
既に正気を失い癇癪を爆発させるヒトラー。
正気を失っているヒトラーに気付きながら、『忠誠』の言葉に縛られる高官たち。
国民の命を無視するヒトラーや高官たちを横目に見ながら、それでも信じることを止められない秘書。
前線に出た事もないのに勇ましく闘うことを選択し、死んでいく少年少女。
目の前にある「敗戦」に動揺するドイツの様子が良く描かれています。
本来なら、栄枯盛衰の無常を感じる映画なのでしょうが、彼等に1mmも共感出来ないのが残念なところ。描かれている人たちは、総じて親衛隊として数多くの人を殺してきた人たち。
知的で冷静な将校として描かれたシェンク大佐にせよ、wikiで調べると「強制労働によりで100名を死に至らしめた」と書かれているのですから・・・共感しようがありません。
この映画の唯一共感出来る登場人物は、ゲッベルスの6人の子供たち。
無邪気に健気に笑い、歌い、そして両親が尊敬するヒトラーを愛します。彼女達は、モルヒネで眠らされた後に青酸カリにより殺されます。
(長女のヘルガのみ、両親を疑いモルヒネをしっかりと含まなかった為か、青酸カリを飲む事に抵抗したと言われています。ソ連軍の検視だと、顔にあざがあり、顎が破壊されている程だった)
あまりの無残さに、心が痛くなります。
また「ナチス体制以外で育てられない」という母親の言葉が、常軌を逸していて空恐ろしくなります。政治の話ではなく、文化でもなく、宗教染みた話。
最期に印象に残った二つの言葉。
ゲッベルス:『ベルリン市民彼等が選んだ運命だ。驚く者もいようが我々は国民に強制はしていない。彼等が我々に委ねたのだ。自業自得さ。』
(ソ連軍に無残に殺されている市民義勇兵を撤退させるべき、と言う提言に対して)
ユンゲ(ヒトラー秘書):『目を開いていれば気付けたのだと。』
(エピローグ。ナチスドイツの蛮行に気づかずに、忠誠を誓ってしまったことに対して)
近代史は、同じ間違いを繰り返さない為に学ぶのだと思っています。今の日本、今の世界はどうなのかと・・・考えさせられた映画でした。
色々と調べると、“概ね”史実通りなのだそうです。ヒトラーはね、最後、パーキンソン病であったと言う話がありますが、そのことを示すように手が震えていたり、細かいところまで描かれています。また、ヒトラーは、子どもや女性には優しかったと伝わっていますが、この作品でも、そのように描かれています。
って言うか、もう最後の方は、総統地下壕の中は、もはや敗残兵の集まりですね。総統がすぐ近くにいるのに、酒盛りばかりしていて。エヴァ・ブラウンも、そこに参加していたりしていたりしてね。もう、なんだかな。本当に、ああいう感じだったんでしょうかね?
対比するわけじゃ無いですが、って言うか対比ですが、日本軍は、末端の部隊は判りませんが、日本の本土に残った司令部は、あんな感じじゃ無かったですよね?実際の映像が残っているわけでは無いので、本当のところを見る事は出来ませんが、少なくとも映画などで描かれているのは、そうでは無かった。意外な違いを見た気がします。
兵士「市民軍は敵の餌食です、武器がなければ犬死です」
ゲッベルス大臣「同情しない、我々は国民に強制はしていない。彼等が我々に委ねたのだ。自業自得さ」
何時だつて戦争は政治家と軍人の勝手で始まり、自国民に大量の犠牲者を出すだけ。
大戦の死者は5000万人、そして600万人のユダヤ人が殺された。
ヒトラーとその取り巻きの最後の姿を、原作および史実にできるだけ忠実に、冷静に、描こうとする姿勢には好印象は持った。
ただ、実際に最後はこうであったろうが、何故多くの人間がただの狂人に見えるヒトラーに忠誠心を持ち、一緒に自死を選んだり遺体を綺麗に燃やしたりするのか、すぐには腑に落ちなかった。また、知らなかったが、ゲッベルス夫妻は6人の子供たちをも何故か道連れに自殺し、少なからずカルチャーショックも覚えた。。
ドイツ人は厳格なイメージあったが、総統地下壕の中には女性も沢山おり、ヤケクソの様な乱痴気パーティーや酒盛りを行っていたのは意外であった。また、壊れかけてきてるヒトラーと何故一緒に死にたがっているのか良くわからないところも有るが、ヒトラーの妻になるエバ・ブラウンが、吹っ切れた様な明るさに満ち、とても魅力的には思えた。女優さんの名演技ということか。
見終わって少し経ってからであるが、ドイツ人と日本人の感性が実はとても似通っているのではないかと思い始めた。ヒトラーがどれだけ現実離れしようと、彼がエンペラー、天皇的な存在と考えれば、忠誠心や後追い自死も、当然ということになろうか。何のことはない、天皇陛下万歳と死んでいく日本兵の精神と同じ感性かもしれない。
現在のドイツ人は異なるかもしれないが、映画の中のナチス将校の様に、市民にとって良い悪いではなく、お上の意向を第一に行動する日本人社会には、独裁者を育む土壌が以前として綿々と存在するのかもしれない。