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革命前夜評論(3)
罪悪感だろう
本を読む、映画を観る、オペラを楽しむ…
こんな日々を過ごせる者は 思想的にイタリア国民の為に 貢献しなくては… と、考えるのだと思う
(「若者のすべて」を見ると、南部の人々の 艱難辛苦がよくわかる)
イタリアは ファシズムの清算が不徹底で(ファシスト政党が ナチスほど、残虐でなかった為) 社会運動も混乱する
あの叔母の神経症は イタリアの混乱だろう
稚拙な所もあるが カメラワークなどに 非凡なものが見え、若いベルトルッチの瑞々しい作品となった
最後に 自分の住む世界に戻る青年が オペラを観るのも、イタリアらしい
そして 年上の女が捨てられるのも(定番だ!) 一つの季節の終わりなのだろう
最後に子供達に「白鯨」を読んでいるチェーザレは、詩人 チェーザレ・パヴェーゼがモデルで 本は彼の翻訳である
50年に自殺しているが、ベルトルッチは 彼に薫陶を受けたのだと 思われる
しかし、彼の憂鬱は撮影当時弱冠22歳だったベルナルド・ベルトルッチの憂鬱そのものだったんだろう。
しかし、ファブリツィオは友人の死(自殺ともとれる事故死)や、若く美しい叔母ジーナとの関係を経て、懐疑的だった筈の同じブルジョワ階級の娘との結婚に流されていく。
「愚かで生意気で、ただ話すだけ。分かっているつもりで、何も分かってない」
結局、ジーナがファブリツィオをなじったこの言葉が全てなのかもしれない。
しかし、このセリフを役者に言わせたベルトルッチ自身もまだ若かったことを考えると、やはり早熟の天才だったのか?
後の作品にくらべれば、若さゆえの粗さも見受けられるが、カメラの位置など並々ならぬセンスを感じることも確か。
60年代のヨーロッパの映画はどれもファッションに注目してしまうが、今作でもジーナのアクセサリーを含めたスタイリングが素敵です。
哲学よりも文学を表現している世界観と遊び心のある描写にはゴダールを想起させられる。
本編に「女は女である」を語る場面もありブルジョワ、革命などゴダールが"ジガ・ヴェルトフ集団"に突き進む片鱗も伺える!?
この時代、二人の巨匠は国も違いながら影響し合っていたのだろう?
何も起こらないし起こさない、起こせない"革命前夜"の若者が動くキッカケとは!?