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太陽を盗んだ男 プロット 日本 10月06日 1979 台灣上映
まだ君を知らない プロット 日本 10月07日 2023 台灣上映
まんだら屋の良太 プロット 日本 03月15日 1986 台灣上映
なん・なんだ プロット 日本 01月15日 2022 台灣上映
ミスター・ノース 風をはこんだ男 プロット アメリカ 04月21日 1989 台灣上映
にっぽんぱらだいす プロット 日本 10月04日 1964 台灣上映
地雷を踏んだらサヨウナラ評論(4)
この映画を評して「(戦場の狂気にシャッターを切る)主人公に感情移入できない」「何のためにそんなこと(戦場カメラマン)をするのか理解できない」というものがあるが、作品の描写不足、表現不足でなく、イチノセタイゾーに対しての想いであるならば、「それで当たり前」。
彼らに言わせれば「お前らに分かってたまるか」だと思う。
自分がいたばっかりに塹壕には入れなくて死んだ兵士に、同じく戦場カメラマンとして活躍したていてとなりで亡くなった仲間に、自分を慕ってくれ、地雷で吹き飛んだ小さな子どもの亡骸に。
乾いたシャッター音を容赦なく浴びせかける、「戦場カメラマン」という職業。それを選んだ彼らの覚悟や運命を描いたのがこの作品なのだ。
友人の結婚式のシーンではしゃぎまわるように写真を撮り続けるときのnikonのシャッター音が、戦場とは違って聞こえるのは気のせい…でしょうな。
状況説明が少ないのである程度の当時の混乱しているカンボジアについての事前の知識がいる。アンコールワットは今のように自由に観光できる場所ではなく、クメール・ルージュの狂信的で危険な兵士たちの支配下にありそこに行くのは命がけであることなどである。
本作品はそのような説明が不足している。そもそも主人公が何故平和な日本を離れて戦場報道写真家をやっているのか、何故カンボジアなのか、アンコールワットなのかもろくにないままに、彼の日常生活を描く。その日本とはあまりに異なる危険な日常生活の場面は悪くないのだが、物語の方向性や展開があまりないままに過酷な日常生活だけを繋ぎ合わせて見続けているだけになってしまう。彼のことを本当に知るには、そんな戦場報道写真家としての日常生活の描写だけでは駄目なのではないか。
戦場カメラマンとして、残虐なシーンではなく戦争に翻弄される民衆を撮り続けた人なのに、死ぬときはアンコールワットを撮りに行って銃弾に倒れるのはちょっとシュールな気がします。クレイジーじゃないとできない仕事ですね。
#浅野忠信
#浅野忠信#奥山和由