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宇宙(そら)へ。 プロット イギリス 08月21日 2009 台灣上映
宇宙からの脱出 プロット アメリカ 04月11日 1970 台灣上映
約束のネバーランド プロット 日本 12月18日 2020 台灣上映
イゴールの約束 プロット ベルギー・フランス・ルクセンブルク・チュニジア合作 05月17日 1997 台灣上映
約束の地 プロット アルゼンチン・デンマーク・フランス・メキシコ・アメリカ・ドイツ・ブラジル・オランダ合作 06月13日 2015 台灣上映
約束の旅路 プロット フランス 03月10日 2007 台灣上映
約束の宇宙(そら)評論(5)
感情を制御できない人間は、宇宙飛行士になれないはずなんだけどな。
宇宙飛行士としてのシングルマザーの苦悩を描いておきながら、男性向けのサービスショットを盛り込むなんて、チグハグなんじゃない。どこを向いて制作されたのかよくわからない。
実際の施設を使った訓練シーンが見れたことだけが収穫だった。
ハリウッド映画のように宇宙飛行士が宇宙にチャレンジするまでのエピソードを盛りに盛り上げ、脚色をしまくり、一大スペース・オデッセイのエンターティメントをゴリゴリに前面に打つ出すのではなく、アメリカとは違う亜流の描き方をするフランス流の軟球な逆噴射させるような予測できる映画の内容には、さすが、フランス人はひねくれた描き方が出来たものだと感心もする。
コンピューターって何?「二番ではいけないの?」なんてのたまう様に、こんな無駄な宇宙計画を口をあんぐり開けている呆けた私に納得させるには、宇宙計画推進用誇大広告のプロパガンダ映画を作ってもらわないとしみったれすぎる。
だから失礼なお話... 宇宙船内で "box-office bomb" が炸裂している。それは、地元のフランスでさえ、この映画がそっぽを向かれていることから
主役を務めた女優さんはフランス生まれで、英語を使う学校に進んだそうな。だから本当は、フラ語と英語のどちらも完璧に話すことが出来るけれども役柄からフラ語のアクセントを故意に強めに話しているそうで、彼女のサービス・ショットのように世の男性陣にとっては、チョッピリ中途半端だったのかもしれない。失礼しました。
頭がよくて、子供がいるのにスタイル・グンバツって、それに少し美人って... あたしのボロの身体を見るにつけ妬んで妬んで... またまた、失礼
amazon.comではVOD配信が始まっていて、レビューの中には「宇宙飛行士としても母親としても失格の映画」とか「エバ・グリーンもマット・ディロンも好きだけれどもいただけない映画」なんていわれている。それもそのはずで女性として宇宙飛行士へのジェンダーの葛藤を描いたようで逆に毛沢東の言葉"反面教師"的に反って女性蔑視に繋がる弱さを描いてしまっていると言えるかもしれない。
でもこんなチンケな映画でも民度の低いニッポンコクでは皆さん◎ってか?
『風の歌を聴け』(村上春樹さんのデビュー作)の冒頭の文章みたいな台詞が出てきます。
レトリックとか修辞とか、分かったようでいて実はよく分からないまま使ってしまう言葉がありますが、これは比較的わかりやすい好事例かもしれません。
レトリックとは、巧みな言い回しで効果的な表現、というようなことだと思うのですが、人によっては〝効果〟の中に、やや真実をはぐらかしたり、ごまかすような意味合いも込めて使っているケースがあると私は思ってます。
完璧な数式、とか完璧な正三角形というのは、(たぶん)存在すると思うのですが、完璧な宇宙飛行士とか完璧な母親なんてものは人それぞれのイメージによるわけで、客観的な基準などはそもそも存在しない。
それでも、聞いた人の多くが漠然とながら、あたかも完璧な姿があるように錯覚して、うんうん、そうだよな、と納得してしまうのですから、効果的な表現という意味では、〝完璧なレトリック⁈〟ではないでしょうか。
人間世界の面倒臭さと比べたら「完璧な物理法則」に基づく計算を積み重ねて〝ほぼ〟完璧な準備(ロケットや機体や各種装置や打ち上げ日の天候予測などのすべて)を整えたうえで打ち上げられる宇宙ロケット。
だけど、それをコントロールする人間たちには完璧な人などひとりもいない。
このこと自体が壮大なレトリックで、なにかのテーマを表現しているかのようにも思える、ある意味で実験的な映画のようにも思えます。
エヴァ・グリーンの美しさ。
私にとっては〝完璧〟でした。
欧州宇宙機関(ESA)の協力を得て、施設から小道具に至るまですべて本物を使用したという宇宙飛行訓練の描写はリアルさに満ち、飛行士らの取り組み方や考え方も含め大いに興味をそそる。だがそれ以上に、サラと娘の不安、さびしさ、互いを想う気持ちをじっくりと尺を割いて描写している点に意表をつかれる。主眼はやはり、仕事と子育ての両立という難題に苦悩する女性の生き方なのだ。
サラが宇宙空間で華々しく活躍することを予想して肩透かしを食ったように感じたが、それも半ば無意識の先入観によるものだと気づかされた。宇宙モノに限らず、専門性の高い職業につく女性や活劇の女主人公などに、男性にも勝る派手な活躍をつい求めてしまうのは、「女性を男性化する」ことによってハリウッド映画に顕著な男性優位主義(マチスモ)のフォーマットにはめ込んできた諸作による刷り込みではないか。
本作の脚本も書いたフランス人女性監督アリス・ウィンクールは、2015年の監督作「ラスト・ボディガード」(兼共同脚本)では富豪の妻子を守る男性ボディーガードの視点でストーリーを語り、ジェンダー要素はほとんど感じさせなかった。だが、トルコの村社会の因習に翻弄される5人姉妹の運命を描くトルコ人女性監督デニズ・ガムゼ・エルギュベンのデビュー作「裸足の季節」に、共同脚本で参加したことが転機になったのだろうか。ジェンダーと社会的役割をめぐる先入観や偏見を改めようとする狙いを本作に強く感じた。
悪徳警官顔のマット・ディロン演じる宇宙飛行士マイクの「女に宇宙飛行士が務まるのかよ」的な態度を「宇宙飛行士ってこんな時代遅れなの?」と思いながら観てたけど、主人公サラも娘のためとはいえルール違反を連発するので、悪徳警官顔の言うこともあながち間違いじゃないのかもと思えてきた。ただ、この男が単なるハラスメント野郎というわけでもなくて、それがわかるシーンが個人的には観ていて一番気持ち良かった。
実際に宇宙飛行士という職業と母親であることを両立させようとして起こるトラブルなんてそれこそ星の数ほどあるんだろうなと思いつつ、そこを掘り下げたこの作品に対して「女性監督独自の視点が…」みたいな表現を使うのもまた違うのかな、とか考えさせられるような映画だった。子育てとの両立や男女差別からくる女性宇宙飛行士の苦悩、それを知ってから観るエンドロールは感慨深いものがあった。きっとあの人も、ものすごい苦労したんだろうな…。