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ミュリエルの結婚 プロット オーストラリア 10月12日 1996 台灣上映
ワイキキの結婚 プロット アメリカ 01月01日 1900 台灣上映
息子の結婚 プロット 日本 07月06日 1958 台灣上映
ムツゴロウの結婚記 プロット 日本 04月27日 1974 台灣上映
キートンの結婚狂 プロット アメリカ 01月01日 1900 台灣上映
結婚の夜(1935) プロット アメリカ 01月01日 1900 台灣上映
レイチェルの結婚評論(15)
この映画を借りてみようと思ったきっかけはただただ、セバスチャンスタンが出てるからってだけ。結局、この映画にセバスチャンスタンが出てくるのは冒頭のたった数十秒だけだった。
でも、めぐり合わせってすごい。この映画を人生で1度だけでも見ててよかったと本気で思う。
見始めた時は正直、あー失敗した、と思った。何よりカメラワークがあまりにもハンドカメラ感満載で、不安定でブレブレで見てる方が目が回りそうなくらいだったからだ。けど、これがこの映画の最大の良さだと私は思う。ハンドカメラで撮った結婚式前後の家族の様子は、ドキュメンタリーのような、家族が思い出に残すために撮ったかのようなリアリティーがあり、リアルであるからこそ、自分がその場にいるような家族の一員であるような不思議な感覚に、主観的に見ることが出来る。けれど反対に、これはある一家の話です。とドキュメンタリーのように客観的に見ることが出来る。また、不安定なキム含め周りの家族の心情に合わせ、カメラも不安定になっていく。面白くて、斬新で、ある意味単純な演出に、いい意味でだまされたと思ったのがこの映画の一番の印象である。
アメリカの自然豊かな場所で繰り広げられるバラバラになっている家族のお話。薬物中毒が原因で弟を亡くす事故を起こしたキム、施設から帰ってくると、自分を腫れ物扱いする父や、また怖い、危なっかしい、ことをするのではないかという結婚式ならではの周りの目線、施設に閉じ込められてすぐなのに、主役は姉レイチェル、この全てに納得いかず、イライラすると共に、イライラするが故に更に家族の傷をえぐっていくような発言行動を、次々にしてしまう。
結婚式を、すぐに控えた姉レイチェル。妹にかかりっきりな家族に不快感を持っていたが、今は自分の結婚式、やっと自分が主役、そう思っていた矢先、祝の席で施設の話や薬をやっていた話をしだすキムの自己中さに腹を立てる。
父は家族を守るために必死。母は離婚したため、家族の少し距離を持っている。
複雑が故に一見、深刻で暗く重いストーリーに見えるが、結婚式ならではの明るさと音楽がいい具合にギリギリのバランスを保っている。
俳優陣の演技は素晴らしすぎて、ほんとに実話なのではないかと思うほど。
これだけ大変な映画なのに、何故か後味はいい意味でさっぱり。きっと監督の伝えたいことは明確で私たち自身にも当てはまる身近なことであるからだと思う。ただ、これを言葉にするのは難しい。思い出せなかったら見返すべきなほど本当に素晴らしい映画。
彼女が結婚式の客らと話しつつ自宅を歩き回る序盤のシーンから、映画には只ならぬ緊張感が漂っている。この娘はそのうち爆発して、結婚式から何から全てぶち壊しにしてしまのではないか——そんな緊張感が。
キムは昔犯した過ちを心底悔いている。自己を卑下し、生傷を進んで晒すような言動は、自分は罰せられて当然だという思いからだろう。だが同時に、許されたい、愛されたいとも願っていて、それがあの不安定な状態を生み出していると思しい。破滅的で痛々しいほどに繊細なキムを演じるアン・ハサウェイが絶品。
その他の人物造形も秀逸。結婚という幸せの絶頂で妹への愛憎を噴出させる姉。とうの昔に崩壊した家族をまとめようと躍起になる父親。そして、あの母親。少ない登場ながら、どうしてこの家族がここまで壊れてしまったかを十分に匂わせる。
手持ちカメラによる映像は、まるでこちらが招待客の1人として、見てはいけない場面を覗き見ているような生々しさ。
多民族の入り交じる、カラフルでパワフルな結婚式の風景も面白い。重く哀しいドラマの対比として、最後は爽やかな後味さえ残してくれる。
傑作です。
女性ならでは(S・ルメットの娘)のきめ細やかな脚本と、
家族の崩壊(アメリカってホントこういう話が好きね)が
引き起こす悲劇を結婚という大舞台で見せてしまう作品。
結婚すれば当然、家族が増える。
すでに崩壊しかけている人間同士が他を認め、決断し、
一歩踏み出すまでをこれでもかと見せる異色作なので
嫌~な気分に苛まれる部分(苦笑いも含め)が何度もある。
おまけにホームビデオ形式?で撮られている映像は、
縦に揺れ~横に揺れ~ズームがかかり~が続くので…
かなりの画面酔いをもたらしてくれるのも必至。
最後まで観るのにけっこう忍耐が必要な作品である^^;
A・ハサウェイはこの作品で新境地を拓いた感じがする。
薄汚い恰好で、言葉遣いも酷く、手に負えない不良娘を
かなり等身大で演じている。とある依存症の施設から
姉の結婚式のため、一時帰宅を許された彼女だったが、
彼女の登場が穏やか(に見えた)家族の崩壊を一気に促す。
笑顔で出迎える家族や親戚一同は、このキムという妹が
遠い過去に引き起こした悲劇を嘆き、心では憎んでいる。
その罪責から逃れられないキムは、更生を望みながらも、
誰からも受け入れてもらえぬ鬱積を表にぶつける方法しか
とれず、結局は堂々めぐりの問題行動を起こしてしまう。
これ…多かれ少なかれ、どこの家庭にもある問題だと思う。
親の愛情の取り合いなど、兄弟がいれば必然的なものだし、
どちらかといえばそれ以前の、キムが依存症になった原因
の方が私には重要に思えた。D・ウィンガーが演じる母親に
しても、なぜそんな妹に弟の面倒を預けたのか(ダメでしょう)。
家族のだいたいの責任をすべて問題のある妹に押し付けて、
監督責任があった自分たち親の責任をすり替えていないか。
おそらくこの家族の崩壊は、過去の悲劇のずっと以前から
兆候を見せていたはずなのだ。
当事者が気付かない事実が、観客には読めてしまう悲劇。
だから常に必要なのが、第三者の視点。になる。
映画評論にも書いてあったが、父親の後妻である黒人の妻。
多くを語らず、表立った意見もしないが、キムのことを気遣い、
優しく見守るこのヒトの視点は、おそらく
現夫の不甲斐なさも、前妻の至らなさも、娘たちの我儘も、
ぜんぶ受け入れている。それをして家族なのだと体現する。
もしもこのヒトが最初からこの家の妻だったなら、
この一家は、違う方向へ向えただろうか。そんな風に感じた。
(親の愛情は必須です。愛されなければ愛し方も分からない。)
アンハサウェイが好きであるなら見ていいと思います。
こじれることがあっても兄弟愛っていいですね。
映画「レイチェルの結婚」(ジョナサン・デミ監督)から。
主人が「レイチャル」でなかったけど、
「ナクトメア!」とは、ドイツ語で「悪魔」という意味、
「花嫁や花婿の父親は、ニッコリ笑って、
小切手を書く以外、やることがない」というフレーズなど、
気になる一言は、意外と多かった。(笑)
特に、結婚式の前日、親族とでも言うべき人たちが、
幸せそうな2人に向けてするスピーチが面白かった。
しかし、それにもまして、私が気になったのは、
話す前に、マイクの音量をチェックする英語、
「ワンツッ、ワンツッ」が、字幕では「マイクテスト」。
うん、確かに、うまい訳だ・・と苦笑いした。
これが「本日は晴天なり」だったら、もう百点満点。(笑)
英語で聞いて、字幕とのギャップを楽しむ。
これも、映画の楽しみ方と言えそうだ。
ちょっと、陰気な楽しみ方ではあるが・・(汗)