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トムボーイ評論(4)
男の子、女の子、グチャグチャになって一緒に遊んだ頃を思い出した。探検ごっことドッジボール。夏休みに宿題も塾もないのはいいなあ。ママとパパがあんな風に子どもを抱きしめてくれて、指しゃぶりできて、運転席のパパの膝に乗っけてもらったり。ビール一口飲ませてくれた場面は懐かしいなあと思った。
個室の子ども部屋の意味を改めて認識した。叱られたら行かなければならない、泣きたくなったらひとりになれる、パパやママに何かを訴えたり大事な話ができる。それ以外は個室にこもらないでリビングやキッチンできょうだいや両親とくっつきあって遊んだりおしゃべりしたりご飯食べたり。家の鍵を貰うのは相応の年齢になったってことなのだろうから、ママもミカエル/ロールも誇らしく嬉しそうだった。ミカエルが後で紐を変えたのはかわいかった。
サッカー遊び観察の結果をミカエルが家で再現してみる場面は笑えたし楽しくてかわいかった。1)男の子は暑くなったら上半身裸になるんだ!2)男の子は唾を吐くんだ!
夏の季節が美しかった。森の爽やかな香り、太陽が顔とか体にあたる熱さ、水に飛び込む気持ちよさ、走って汗だくになる感じ。全部が美しい映像から感じとれるようだった。
主人公、よくこれだけぴったりの子が居たなと思った。この子だからこそできた映画だと思うし、妹含めて素晴らしいキャスティングだった。一緒に楽しい夏休みを過ごしたような気持ちになった。新しい学校で迎える新学期前に友だちができてよかったね。
映画の題名と同じ "トムボーイ" というガールズ・ユニットが日本ではいたとか!?
それはさておき、映画のラインの中で彼女ロールが引っ越した先の学校のクラスについて彼女を男友達ミカエルとして見ていたリザが、同じ"6-グレイド"だと嬉しそうに言っていたことから... フランスだと11才とされるけど10才のそんな彼女。
だからちょうど思春期直前の成長過程にある男の子が女の子に、女の子が男の子にあこがれるように自分もそうなりたいと思うことが、一部の彼らにはあるのかもしれない。
The average age for girls to begin puberty is 11, while for boys the
average age is 12.
上記のセンテンスは、"puberty" つまり "思春期" が平均して、おませさんの女の子は一才男の子よりも早く訪れることを外国人も合法的にイギリスに滞在していると認定を受ければ、無料か極めて少額負担で利用ができるイギリスの国民保健サービス:NHSの公式ホームページに載っていたものを引用させてもらったけれども、日本では思春期について少し見解が違う。
「子どもが大人へと成長するための移行期間を指し、8歳頃から17、18歳頃までの時期に相当します。」と公益社団法人:日本産婦人科医会のホームページに載っていたけど... 日本の特権階級の嫌われたくない、間違いを犯さない"お為ごかし" とはこのことを言うのかもしれない... 意味不明かな?
本作というと監督であるセリーヌ・シアマによって10年前に製作されているけどモバイルフォンが出てこないのは少しおかしな感じはあるにしてもラップトップでネットもできる環境からあまり10年のギャップは感じられはしない。
おかしな部分と言えば、どっかの芸能人もフランス人と結婚しても籍を入れないことがあるパートナーと言うよりも対外的要素も含めてパートナーシップと呼べるフランス流夫婦関係が、この映画の一つの特徴かもしれない。
子供を叱るのが父親とするなら、彼らを精神的な守護天使のようにかばう立場が母親なら、その古びた考えをこの映画を見たことで改めなければならなくなるかもしれない。しかも、親子や姉妹のスキンシップを見ていると彼らの関係が作られた映画だけの話で、本当は赤の他人ということをいつの間にか忘れてしまっている自分に気が付く。特に終始硬い表情のミカエルよりも妹ジーンを演じていたマロン・レバナさんの自然な演技やハキハキした言葉使いや姉妹の秘密はきっちりと守るおませさんなところは拍手ものとなっている。
近代映画には欠かせないフィルムスコアが作中あったのか記憶にないほど印象が薄く、ミカエルを中心に姉妹、親子の家族という最小コミューンと子供同士の彼ら幼いなりの繋がりを決して焦らないで、淡々と撮影していることやロールの前半での全裸姿や男の子として水着の前のふくらみの為にミカエルが疑似ペニスを作るいじらしさを女性監督らしく、決して醜悪なものに映し出していないことが、この映画の見ていて救われるところかもしれない。もちろんLGBTを描いたなんて大袈裟なものではない。
農業が盛んな地方のセーヌエマルヌ県をなぜロケーションに選んだのかは知れないけれども、それと相まってスレッドに派手さはないけれども、言葉では表すことのできない感じの良い余韻だけは映画を見終わって残っていた。
妊娠間近の母とその父、生意気だが主人公に寄り添うフェミニンな妹との交流は一切の汚れなき純粋無垢な思春期前の様子であり非常に微笑ましい。また、妊娠間近の母=名付け親と赤子を登場させることで名前を偽り、アイデンティティ・ジェンダーで揺らぐ主人公の物語に深みが増している気がする。
全編を通して、思春期の不安定さを面白可笑しく、そして挑発的とも言える描き方をしながらも、心の何処かで共鳴してしまうような作品。また、男と女、それぞれのジェンダーロールに縛られない物語に魅了されるのかも。それも、わざとらしくなく、優しいベールが包んでいて。
そして、なにより出演者の演技、とりわけロール演じるゾエ・エランは全くもって違和感なく、自然に演んじており、自己が確立していない思春期前のキャラクター像を完璧に憑依させていた。ゾエ・エランの牽引力に屈服。とにかく凄まじい。
超絶好きです。
この映画を成功に導いた最大の要因は、ロール/ミカエルを演じる撮影当時11歳だったゾエ・エランの瑞々しさ、これに尽きると思う。彼女が醸し出す、見た目少年80%、少女20%の絶妙な配分が、性差を超えて魅力的に見えるからこそ、誰もが息を殺して見入ってしまうのだ。