昔々、アナトリアで

7.4/10
共21評論
類型   プロット
時長   157分
語言   沒有信息哦~
台灣上映   01月01日 1900
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昔々、アナトリアで劇情

「冬の街」(2003)でカンヌ国際映画祭グランプリ、「スリー・モンキーズ」(08)で監督賞を受賞しているトルコの名匠ヌリ・ビルゲ・ジェイランが、広大な草原地帯で殺人事件の遺体を捜索する男たちが織り成す人間模様を重厚なタッチで描き、第64回カンヌ国際映画祭で自身2度目となるグランプリを受賞したドラマ。殺害されて草原に遺棄された遺体を探し出すため、容疑者を連れて草原にやって来た警察官、検察官、検死医、発掘作業員ら一行。男たちは日常の話題や自殺や死について様々な会話を交わしながら捜索を続けるが、容疑者の供述が曖昧なため、遺体はなかなか見つからない。広大な草原をさまよう男たちは、次第に苛立ちを募らせていく。

昔々、アナトリアで演員

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昔々、アナトリアで評論(5)

Nehargueoc
Nehargueoc
あらゆるシーンが長尺でぼうっとしてしまう。息を呑むほどかどうかわからないがトルコの田舎の風景は美しい。

紅茶を運んできた娘は何のメタファーなのかよく理解できず、「あれは何だったんだろう」「あ、この検事さんやっぱり岡田真澄に似てるなあ」とか思いながら気づけば2時間30分経っていた。
Hsnkmoixpsg
Hsnkmoixpsg
トルコ。幻想的で不思議な作品。
音楽も使用されず、しかしどこか心地よい。
何もない草原が襟裳岬を思わせる。
一度ではわからない。
2014.10.3
Nxhkoisgmsp
Nxhkoisgmsp
この映画を見ている時、ジェイラン監督の作品は会話が大切だから、誰と誰の会話に焦点をおいて、鑑賞するべきかなと思い、そして、検事(Prosecutor Nusret)と医者(Doctor Cemal)に焦点をあてようとこと決めてみたが、映画を観終わって、『う。。?』離婚の経験がある医者の人格とニヒルさか?それに、かれの人情か?と思い、ポイントがつかめず、ちょっと閉口してしまった。
もう一度、医者と検事の会話だけを観るべきかと思い、ビデオを戻してみたが、いやいや、2011年カンヌ国際映画祭審査員グランプリを受賞した映画だから、ヌーリ・ビルゲ・ジェイラン監督のインタビューがあるはずだから聞こうと思って探し始めた。そして彼の、一言に救われた。『僕の作品は難しいから、全部わからなくていい』と。
個人的には好きなタイプの映画で、スリル、サスペンス風だが、いやいや、それぞれの人の歩んでいる(抱えている)人生は違うようにみえても、我々にもありえる(経験しているかもしれない)人生であり複雑にからみ合う人間模様と膨大なトピック(ヨーグルトから離婚自殺まで)を描いた映画になっていて、最後のシーンは(解剖のシーン)の医者の迷い、心の葛藤がくるしいほとよくわかる。
解剖の結果、生きたまま広大なアナトリアの場所に埋められた被害者(Yaşar)とわかった。失望の渦のなかにいる被害者の伴侶と息子(加害者?Kenanの息子??)にどう伝えるかを窓越しに二人が歩いている(息子はサッカーボールで遊んでいる)のを見ながら思案している医者。

Kenan (加害者?殺人罪?で囚われている人)にもタバコを与えることのできる医者(警察はタバコが欲しいなら告白せよという態度でタバコをとりあげた)
罪びと(?)にも被害者の家族にも 温かみをあげられる心理を持っている医者の心に感動した。彼の目の動きを映画を観ながらずっと追っていた。彼の心理を掴みたくて。

現代と伝統的なの文化との間を生きている人々。地方に見られるモスリム の文化(死体を家族が別れにくるまで保存しておく)と殺人などもっとも罪となるモスリム文化のなかで、現在の人々が一般的に話題にしている物事だが、これらの複雑な世の中に生きている人々。これらの中でカルチャーショックに戸惑っていながら生きている年配の人々。

トルコ語と日本語はアルタイから来ていて兄弟のようなものである。文法などの共通性だけでなく文化の共通性にも驚いた。この映画で初めて気づいたが、『こっちに来い』と医者が示す手振りが(指を下に向ける)日本と同じだ。

アナトリア半島の広大な自然と文化をゆっくり眺めるためにも、この映画は映画館で観るべきだと思った。
Gpimnxkshso
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ある殺人事件の現場検証がこの映画の主な舞台である。遺体を埋めた場所を正確に思い出せない容疑者のおかげで、一行は一晩中アナトリアの田舎を移動し続けることになる。しかしそこには、サスペンスや謎解きといった風情とはまったく別の語りが存在し、観客を想像もしなかった感情へと誘う。
映画の前半、事件の容疑者の存在にはそれほどカメラはフォーカスしない。むしろ、彼を護送する警官たちや、現場検証に立ち会うために同行してきた検事の世間話ばかりが続くのである。この世間話にしか聞こえない語りを、映画の本筋から離れたものとして聞き流すのか、その一つ一つを物語として聞き入るのか、その態度ひとつでこの映画が観客に迫ってくるものが異なってくるだろう。
警官にはその人の生活と人生があり、検事には検事のそれがある。他人から見れば分かりきったことや些末なことでも、本人には理由が分からなかったり、ことさらに深刻に悩んだりしている。
遺棄現場探しの途中、小さな村の村長宅で一行は休憩を取る。そこで彼らが見たのは村長の美しい娘。「このままこの田舎で朽ちていくのが惜しい。」というセリフが印象に残る。教育や出会いに恵まれれば、この美しく若い女性には別の未来が待っているはずなのに、家族の誰もそのことに気づいていない。
この休息から映画は後半に入っていく。後半から容疑者に焦点が向くことが増え、どうやら彼が弟をかばって罪を着ているようなことや、彼の息子への思いがほのめかされる。そしてこのことから、観客はこの容疑者が一面的な悪人や凶悪犯として描かれているわけではないことを知るのである。村長の美しい娘の登場が、容疑者の息子への思いを吐露させる契機になっているのだが、ここから一気に未来ある子供・若者へのまなざしを観客は獲得する。
司法解剖が行われるシークエンスにおいても同様で、気管に土が入っていたこと、つまり生き埋めにした可能性を示す証拠を医師は黙殺する。容疑者の罪を重くすることが、被害者の遺族にとって望ましいことではないという事情をくみ取った医師の姿にもまた、この子供への配慮がほのめかされる。
映画の中では、ほぼすべての事情がほのめかされるだけなのだが、結果として観客がその事情に対して被写体がどのような価値判断を下しているのかを明確につかむことができる。非常に映画的な語りが実践されており、またそれが見事に成功している。監督の近作「雪の轍」では未消化に感じられたものが、この作品では見事なまでに実現している。
Glhnodrauu
Glhnodrauu
カンヌでグランプリを獲得しながらDVDスルーの憂き目にあった残念な作品。よしんば劇場公開されたとしても日本人の皆さんにはあまり受けなかったかもしれない。各国を放浪の末、写真家兼映画監督になった珍しい経歴の持ち主ヌリ・ビルゲ・ジェイラン。トルコ・アナトリア地方の風景をとらえた映像はまさにアートだが、そんな非常に美しい絵に耽溺していると本作の中に隠された真実に気づかないまま見終わってしまう作品でもあるので注意が必要だ。

トルコの政治・社会よりも人間の普遍的な内面性に興味がおありなジェイラン監督の目標は、チェーホフの小説を読むような映画を撮ることだそうな。その評判どおり、一見(ありきたりな殺人事件以外)何も起こっていない(何も起こさない)ように見える本作だが、その実態は他愛ない会話の行間を丹念に読み込みながらラストを迎えると悲しい真実へとたどり着く超一級のミステリーだ。なにせ肝心のネタバレシーンがバッサリ切り落とされているので、その難解さはあのミヒャエル・ハネケの『隠された秘密』に匹敵するといっても過言ではないだろう。しかも映画中盤のある出来事の意味に気づくと不思議なカタルシスも得られる1本なのだ。

被害者は男5人でやっとこ持ち上げられるほどの巨体、あの非力そうな2人での搬送はほぼ不可能。とするならばあの場所まで自分で行ったとしか考えられない。自分の子供が友人の種であったことを知った被害者はショックのあまりあの場所で自殺を図ったのでは?その後被害者の行方を心配して(おそらく飼い犬の後を追って)ケナン兄弟が到着。自殺を他殺に見せかける偽装工作を施したのではないか。奥さんの不実を罰するための自殺を、ケナンが他殺にみせかけてその奥さんと子供を守った。“自殺のほとんどは誰かを罰するためであり、殺人のほとんどは自分や誰かを守るためである”劇中語られる唯一のヒントに従ってパズルを組み立てると自ずとそういう結論にたどり着くのである。

土に埋まっていた死体がなぜかロープで拘束されていたこと、死体の側に飼い犬がいて掘り出そうとしていたこと、土に埋められた時被害者にまだ息があったことなんかとも辻褄が合うだろう。遺棄場所の手前にあった焼け跡は、首を吊った木の枝が折れ、それをケナンが証拠隠滅のため燃やした跡ではないか。いずれにしても奥さんと子供が石を投げられないように、ケナンが咄嗟に思いついた偽装工作だったと思われる。

それらを見破った唯一の人物が本作の主人公検死官。ではなぜ生き埋めになっていた証拠を検死官は揉み消したのか。検事の奥さんと思われる死体を検死にまわすべきだったと説く仕事人間がなぜ?それには村で遭遇したある出来事が深く関わっている。死体捜索で疲れきった一行が食事中いきなりの停電。漆黒の闇の中から現れるランプに照らされた村長の娘。この女神のごとき美しい少女が食後のお茶を一行に配る、(個人的にはタルコフスキーを思わせる)幻想的である種宗教的な儀式によって、唯物主義者の検死官にある心の変化が生じたのではないか。

この儀式の後、ダンマリを通す気でいたケナンは被害者が生きている幻覚を見て犯行動機と遺棄場所を素直に白状、部下を顎で使い容疑者をこづきまわしていた警察署長はケナンに優しくタバコを振る舞う。官僚的だった検事は実況検分中ジョークで皆を和ませ、妻と思われる女の死に自責を感じようになる。そして真実を白日の下にさらす気でいた検死官もまた、今回の事件と自分の過去を重ねながら、ケナンの元恋人の奥さんとその子供に慈悲をかけようと思い立つのである。このビフォー・アフターに気づけないと、本作はあなたの中でなんの変哲もない陳腐なミステリーに終わってしまうことだろう。

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