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ネリー・アルカン 愛と孤独の淵で評論(6)
この作品は自意識が認識する自己と現実に物理的に存在する自己との乖離が大きくなった場合、人間がどのように振る舞うかの一例を紹介している。作家で娼婦であるという生き方は、知的な思考実験と本能的な欲求の発露という両極端の場面に順不同に直面することだ。ストレスの大きさは計り知れない。
人間には自意識があるから、自分が認識する自己と実存としての自己との乖離は多かれ少なかれ誰にでも存在する。自覚している人もいれば、無自覚な人もいる。どちらが生きやすいかと言えば、当然無自覚な人である。
俺は、俺だという時の主辞と賓辞の間に横たわる深い溝については、埴谷雄高が小説『死霊』の中で詳しく述べている。所謂、自己同一性障害である。非常に哲学的なテーマだ。
本作品は、埴谷雄高が小説の中で主に会話によって表現したのと同じような思考実験を、飲んで食べて性交する主人公の即物的な行動によって表現した稀有な映画である。場面は時制を超えてあちらこちらに飛び回る。必死についていきながら観客が理解するのは、ストーリーではなく主人公の心の闇だ。
けれど、この映画では苦しみと輝きとが一体になっている。
アルコール、薬物、性への依存と言えるのかもしれないが、苦しみの中のヒリヒリした刹那の輝きは何だろう!
思春期にこじらせちゃった彼女は、性の対象として見られること、求められることで自身の承認欲求を満たそうとし、
エスコートガールとなった自分を客観視して、客に合わせた別の人格を生み出すことで、より大胆に加速していく。
性の奉仕者の形を取りつつ、彼女のセックスアピールから逃れられない、欲情に抗えない人々に対する優越感や征服感や支配感のようなもので彼女は満たされていたのではないかと思います。
でも、自分を受け入れて愛して欲しいのに、結局受け入れられるのは自分が作り出した別の人格であって自分自身ではない。
決して本当に満たされることのない負のループに陥り、自分自身を救う為に小説を書くも、新たに自分の別人格を生み出してしまうだけ。
一人舞台に立って唄う彼女は少女の頃のまま。
自分に向けられる観客の視線に酔いしれながらも、自身を表現することより観客の顔色をうかがい怯えている。
更にセックスシンボルとしての賞味期限が近づき、小説家としても陰りが見えてくると、それぞれの人格がじわじわと彼女を蝕んでいき…
浅い眠りから覚める度に別の人格を演じている。そんな終わらない悪夢のなかで、5冊目の本が届くシーンには鳥肌が立ちました。
人から求められること、愛されることを渇望するあまり、別人格を作り出してしまった彼女は、結局は誰にも本当の自分を愛してもらえず、
何より自分自身を愛せなかった。
別の人格を作った時点で、既に彼女はそれに寄り添う亡霊でしかなく、自分自身を葬っていたのかもしれません。
こういう自分になりたくてなったわけじゃなくて、寧ろ嫌なところもあるんだけど、それが才能の源泉になってるっていう。
才能あふれる人には憧れるけど、こんなキツイ人生になるなら、凡人でいいかな。