世界にクロサワの名を知らしめた歴史的作品。原作は芥川龍之介の短編「藪の中」。平安時代、都にほど近い山中で貴族女性が山賊に襲われ、供回りの侍が殺された。やがて盗賊は捕われ裁判となるが、山賊と貴族女性の言い分は真っ向から対立する。検非違使は巫女の口寄せによって侍の霊を呼び出し証言を得ようとする、それもまた二人の言い分とは異なっていた……。豪雨に浮き立つ羅生門の造形美、立ち回りシーンの迫力、生き生きとした役者たちの演技などすべてが印象深い作品。ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞した、黒澤明の出世作である。米アカデミー協会の全面的バックアップを受け、映像とサウンドを修復した「デジタル完全版」が2008年に公開された。
羅生門評論(20)
冒頭から映し出された降りしきる大量の雨、多襄丸と侍の藪の中での立ち回り、演者を照らす絶妙な光と影、、、 これらの圧倒的な映像美だけでも見惚れてしまうのに、食い違う証言を巧みに物語の中で構成させることによって、人間のエゴイズムを問いかける手腕は素晴らしいとしか言いようがありません。
黒澤監督は、芥川が文学で炙り出した人間の本質を、映像という形で新たに再構築し、より芸術性を高めていると思います… 人間の欲望や意思、その奥に秘められている人間の本質は、演者の目つき、表情、声、顔を浸る汗、照らす光の具合や、まわりの音などによって、無限の奥深さを与えてくれます。京マチ子演じる女は、恐ろしい程の数の顔を持ち、何を想い、何を感じ、何を望んでいたのか、答えのない幾つもの人間性を曝け出しています。視覚的、聴覚的な感受性、これこそ映画のもつ究極的な面白さで、物語を感じ取り、解釈する仕方を無限に広げてくれるのです。
最後に、この映画は人間のエゴイズムを炙り出しているとは言ったものの、本当にそれだけでしょうか。証言がそれぞれ異なるのは、何も自分を正当化するエゴイズムだけでなく、もしかしたら皆何か別の想いがあって、誰かを庇う部分があったのではないか、、、そんな複雑な心境が証言に含まれているのではないかと思いました。エゴだけでなくて、こんな可能性もあるかもしれないから、より物語が複雑になって深みを増しているのだと思います…
後の作品でも見せられ、加えてさんざんに信望者に真似つくされてきたはずだが、走る三船敏郎を追いかけるカメラの疾走感と森林中の木漏れ日が動きの中で織り成す光と陰が、今もなおとても斬新な印象で、自分としても驚かされた。やはり、本家本元のレベルの高さは半端では無いことを再認識させられた。
三船敏郎の野性味と卑しさの共存も魅力的、こんなに魅力的な俳優であったのか。京マチ子のセリフの迫力と超アップでの目力にも驚愕。
一体誰が本当のコトを言っているのか…
って、最後の話が真相なんじゃないのかな?
昔見た時は、何だかよくわからない印象だったけど、今回字幕をONにして見たら、だいぶわかり易かった。
使ってる言葉が難しいんじゃ。
それにしても、三船敏郎の男らしいこと…
今の俳優に、こんな男はいるかなぁ~?
女の豹変ぶりが凄い。寝取った男、寝取られた夫、その妻。同じ出来事なんだが三者三様、己のエゴから言うことが違う。また、それを目撃した者も結局は嘘をついており、事実と違うことを語ってしまう。人間は自分が可愛いがために嘘をついてしまうことを表現してるのだろうが、今この現代において、人間は変わっていないとも感じるが、どこか当然の気もしてしまい、それだけ当たり前に感じてしまう自分が、残念。