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晩菊 プロット 日本 06月22日 1954 台灣上映
晩秋 プロット アメリカ 04月20日 1990 台灣上映
晩鐘(1987) プロット 中国 11月25日 1988 台灣上映
一晩中 プロット ベルギー・フランス合作 04月07日 2023 台灣上映
母三人(1949) プロット 日本 04月24日 1949 台灣上映
女の一生(1949) プロット 日本 01月25日 1949 台灣上映
晩春(1949)評論(20)
同年公開の黒澤明監督の野良犬、前年公開の酔いどれ天使に登場する東京とは全く違う世界が描かれています
左翼からは当時の困窮混迷した社会情勢に背を向けた鼻持ちならない極めてプチブルジョワジー的な映画だと批判されもしたようです
しかしその批判は当たらないと思います
小津監督の視線は日本の現状をしっかりと見つめており、だからこそこのような日本の最良の社会の在り方を残そうと懸命に記録しているとも言えると思うのです
序盤の横須賀線の走行シーンを長々と挿入しているのは何故でしょうか?
馴染みのある横須賀線カラーではない、昔の茶色い塗装の電車が遠景で映ります
一両だけ白い帯が横にはいった車輌が列車の真ん中にあります
グリーン車ではありません
米軍専用車輌なのです
紀子と服部が自転車で葉山から茅ヶ崎まで海岸を走るシーンでは道路標識は英語でマイル表記なのです
つまり監督は占領下の日本の行く末
その社会の構造、人間の機微
そういった日本の本当に美しいものが壊されてはなるものか
そのような強い意志をもって本作を撮影しているのだと思うのです
冒頭に茶会のシーンを置くなどだけでなく、本作のテーマそのものや、登場人物達のものの捉え方、行動、立ち振舞い
そういったものを飲み込まれてはならないものとして映画に刻みつけようとしているのだと思うのです
晩春という題名
確かに冒頭の北鎌倉は桜も終わった明るい陽光に満ち溢れています
服部が紀子を誘った東京劇場のバイオリンの演奏会は4月28日開催でした
服部が婚約者が在りながら自分を誘ったことになんとも不潔だと紀子が怖い顔で歩くシーンはその前の切れない沢庵問答の時の笑顔との落差が効いています
能の演目は杜若(かきつばた)
つまり初夏の花です
紀子が途中で三輪秋子に気付いてからみるみる不機嫌になるシーンは心に残りました
終盤の京都の清水寺には修学旅行とおぼしき女学生達が冬服で散策しています
紀子は半袖ですが、周吉はカーディガンを着ています
つまり父娘の京都旅行は初秋頃です
ラストシーンでは父周吉が独りリンゴの皮をむきますから、紀子の結婚式は晩秋から初冬だろうと思われます
では何故本作は晩春という題名なのでしょうか?
それは劇中の季節を指しているのではなく、紀子の事を指しているのだと思います
遅い春がようやく彼女にも訪れたという意味なのだと思います
上野の料理屋の多喜川の主人が西片町にお住まいの頃云々と話ます
その地名は東大前と本郷の間にありますから、周吉は東大の教授なのでしょう
京都の旅館で明日帰るという夜
父娘は布団を並べて眠ります
その時床の間の壺が意味ありげに長く撮されます
色々な解釈がされているようです
ユング的には壺は女性を象徴しています
その空洞の内部に全てを呑み込み、そして産み出す存在なのです
つまりエディプスコンプレックスを説明しています
果たして翌朝、彼女は結婚したくない、周吉といつまでも暮らしていたいと言い出すのです
この時初めて周吉は雄弁に彼女に話しかけるのです
今までになかったことです
こんなことはできない人物です
なのにこんなにも話すのです
それがラストシーンとの対比を強めているとおもいます
周吉は独りの家に戻り暗い台所でリンゴの皮をナイフで剥きはじめます
そんな事は紀子がしてくれることで、危なっかしい手つきです
彼は慟哭はしません
周吉とはそんな男ではないのです
これで良かったのだと言い聞かせているのです
結婚式に向かうシーンで杉村春子がバックを二つもって退場しようとしてまた戻って忘れ物がないかぐるりと部屋を一周してから階段を下りていくのです
素晴らしい小技で参りました
エンドマークは鎌倉の夜の海が写されます
寄せては返す波
それははるか昔から同じ光景であり
周吉と紀子のような嫁に行かせる話はその波のように太古から繰り返し繰り返し同じことがあったことなのです
素晴らしい余韻が残る、日本の最良の部分を残すことが同時に世界的に普遍性のある物語にまで昇華しています
本作の12年後小津監督の遺作秋刀魚の味が撮影されます
ほとんど本作のセルフリメイクと言える内容です
本作をより整理して父が嫁に行かせる物語により焦点を絞りこんでいます
監督の本作への再挑戦だと思います
是非合わせてご覧下さい
期待以上☆彡
色々と自分の人生を振り返ったり、
今の、年頃の息子の事が重なり
涙、涙🥲
もっと早くに見たかった。
私の結婚する頃に。。。。。
ユーモアもあり杉村春子さん
原節子さん綺麗
笠さんのお父さんぶり素敵。
なかでも美しさ際だつ作品だったような
「東京物語」が僕にはあまり理解できなくて、小津映画もしかして苦手かもと思っていたが、この作品で小津安二郎の凄さがわかった。
お互い依存しあう父娘、しかしお互い自立しなければいけないと頭の片隅にはあり物語が進む。非常に繊細な二人の駆け引きが胸にチクリときてしまった。
道路の両隅を無言で歩き、それをカメラがフォローするシーンはとても美しかった。
笠 智衆と原節子の父娘はとても可愛らしく描かれており、ずっと観ていたくなる。
ラスト、お嫁に行く娘を送り出す父。「東京物語」の様にドラマチックではなく、淡々とリアルに描かれ「小津らしい」と思った。しかしラストカットで、静かな家で一人リンゴの皮を剥く父が頭を垂らすエンディングで鳥肌と涙が出た。
とても日本的な美しさが描かれている繊細な映画だった。
主人公の紀子は父親とのふたり暮らし。母親が他界していることもあり父親の身の回りの世話は紀子がしている。そのせいか紀子の父親への愛情は人一倍強い。紀子は20代後半でとうに結婚適齢期を迎えている。しかし結婚には興味を示さない。そんな紀子を心配して父親や周りの人たちはお見合いを勧める。しかし当の本人の紀子は父親がひとりになることを心配するのと、父親との生活が楽しく現状に満足しているためお嫁に行こうとしない。
この作品はそんな紀子が父との別れを受け入れお嫁に行くまでの話を描いている。
一見平凡な内容の作品だが、日常的に起こる喜怒哀楽や何気ない幸せが奥深く表現されている、素晴らしい傑作だと思った。とても味わい深い感動があり、今内容を思い返してもグッとくるものがある。
諸行無常感がなんとも切なく印象的な作品だった。人生とは一定の所に留まり続けることは出来ず常に変化していくもの。今ある幸せな場所にもいつか終わりが来て、また新たなステージへ進まなければならない。その先で自分なりの幸せを再構築していく。そんな人生に対する小津監督のメッセージを感じた。
必要以上は説明せず多くは語らない作品なので、一方ではエレクトラコンプレックスを描いた作品だという見解もある。小津監督の実際の真意は分からないが、多くは語らずに受け手の想像力を掻き立てる作風は、芸術的で日本的な奥深さがあり素晴らしいと思った。
紀子を演じた原節子も素晴らしかったが、父親を演じた笠智衆がとても印象的だった。笠智衆の演技はお世辞にも上手いとは言えないが内から溢れ出る優しさや存在感が素晴らしく唯一無二の奥深さのある俳優だと思った。京都の旅館での「幸せになるんだよ」と言うシーンはとても印象的だった。
初めての小津監督作品だったが、心に残る作品になった。日常的で普遍的な事柄を、映画という作品にすることだけでも凄いのに、ここまでの傑作に仕上げてしまうのだから本当に凄いと思った。