アメリカの熾烈なTVメディアで活躍するアンカーを目指す女性の心の成長と恋を描いた、ロマンチックなラヴ・ストーリー。83年に若くして事故死した女性アンカー、ジェシカ・サヴィッチとその恋人ロン・カーショーをモデルにしたアランナ・ナッシュのノンフィクション『アンカーウーマン』(邦訳・徳間文庫)に依っている。監督は「フライド・グリーン・トマト」「8月のメモワール」のジョン・アヴネット。脚本はジョーン・ディディオンとジョン・グレゴリー・ダン。製作はアヴネット、デイヴィッド・ニックセイ、「8月のメモワール」のジョーダン・カーナーの共同。エクゼクティヴ・プロデューサーはエド・フックストラッテンとジョン・フォアマン、撮影は「ロブ・ロイ」のカール・ウォルター・リンデンローブ。音楽は「キルトに綴る愛」のトーマス・ニューマンで、主題歌はセリーヌ・ディオンの『ビコーズ・ユー・ラブド・ミー』。美術は「サブリナ」のジェレミー・コンウェイ、編集は、監督とは3作目のデブラ・ニール=フィッシャー、衣裳は「トイズ」のアルバート・ウォルスキーが担当。主演は「デンジャラス・マインド
卒業の日まで」のミシェル・ファイファーと「幸福の条件」のロバート・レッドフォード。共演は「私に近い6人の他人」のストッカード・チャニング、「赤ちゃんのおでかけ」のジョー・マンティーニャ、「ポケットいっぱいの涙」のグレン・プラマー、「キルトに綴る愛」のケイト・ネリガンとジェームズ・レブホーン、ミシェルの実妹でもある「ミ・ファミリア」のデディー・ファイファーほか。
アンカーウーマン評論(7)
大きく3部構成になっているが、真ん中のラブストーリが間延び感があった。前後のテンポが良かったので、ちょっとね。第一部のレッドフォードのまなざしは完全にお父さんだったし、ロマンスは違うなと。
女性の社会的活躍を男が下支えする。しかも恋愛関係が前提にくる。このストーリー自体は現在では古くさく、今では保守層受けするものかもしれない。既に20年前の作品。時代は割り引く必要はある。逆に見守る男の方が活躍する女性に動機づけられる展開が見られたり、ただの憧れからプロ意識へとステップアップする主人公を描いたことは、単なる男目線から一歩前進を志向しているようにも思える。
リポーター志望のTallyことSallyと、彼女の根性と才能を見抜いた番組ディレクターWarrenのラブストーリー。
元々はJessica Savitchというアンカーを描くはずが、随分違う話になったとのこと。彼女は60年代後半から80年代初頭にかけて活躍した人で、当時の報道業界では、セクハラ以前に、女性の採用自体が珍しい時代だったようです。
最近の作品ですと、Robert Redfordは”Truth”にも出演していましたし、”Bombshell”では女性キャスターへのセクハラがテーマだったためか、無意識にもう少し社会派の要素を期待していました。多少のセクハラや足の引っ張り合いは描かれていますが、あくまでも主軸は若く美しい新人と恋多きディレクターとの恋愛。命懸けで報道する姿に感動するというよりは、人の不幸に便乗して名を揚げていくようにも見えてしまいました。しかしリポーターとして認められると、どんどん大きい局にスカウトされていく様子は興味深かったです。
Sallyを演じるMichelle Pfeifferがとても美しいです。妹役を演じた女性は実の妹。
あと、挿入歌が有名になりましたね。
良くも悪くも陳腐なラブストーリーを観たければ選んでも悪くない作品だと思いました。
しかし、前半がつまらなすぎた。だらだらした恋愛部分は思いきってカットすべきでしょう。レッドフォードが最後にパナマへ行くと言った段階で予想できちゃうし・・・
映画「アンカーウーマン」(ジョン・アヴネット監督)から。
作品冒頭に「報道の人間が忘れてならないのは、
事実をありのままに語ることです」というテロップが流れる。
これは、キーワードとなるフレーズだな、とメモしたところ、
案の定、ラストシーンでも使われた。
だが、ハッピィエンドでなかったので私としては辛かった。(涙)
小さなローカル局から、アメリカ全国ネットのテレビ局の
アンカーウーマンまで上りつめた主人公の彼女を支え続けた考え方、
それは「事実を語ること」。
政治の世界から犯罪現場まで、どんな突撃レポートであっても、
それは変わらない姿勢であった。
しかし、その考え方は、最初に採用された時のプロデューサー、
(のちに「夫」になる)の考え方でもあり、知らず知らずに教え込まれた
「報道の基本」であった気がする。
そしてラストシーン、事実を語るために訪れた取材先で死亡した夫を
彼女が思い出しながら、関係者の前で力強くスピーチする。
「私の役目は一つだけ。事実を語ることです」と前置きして、
「つい最近、夫が教えてくれました」と。
夫の死を悲しんでいるばかりではいけない、愛した彼が教えてくれた
「事実を語ること」をこれからも仕事の姿勢として貫いていきます、
そんな決意にも感じられた。
悲しいはずなのに、なぜか涙より拍手をしたくなった作品である。