真夜中の処刑ゲーム
プロット
カナダ
02月02日 台灣上映
サンパギータ
プロット
日本・フィリピン合作
02月03日 台灣上映
レディ加賀
プロット
日本
02月09日 台灣上映
雨降って、ジ・エンド。
プロット
日本
02月10日 台灣上映
テルマ&ルイーズ
プロット
アメリカ
02月16日 台灣上映
コーヒーはホワイトで
プロット
日本
02月16日 台灣上映
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仮面 ペルソナ評論(6)
だが自分なりの解釈で意味が解ると腑に落ちた
するとなんだかわからない感動が沸き上がっていた
自分なりの解釈はこうだ
エリザベットのみが実在している
アルマは彼女の中の空想の人格ペルソナに過ぎない
女優として様々な役作りをしてきて、誰かに成りきることは常のことなのだ
なので、終盤アルマの長いエリザベットへの語りかけが、カメラを2回繰り返されるのだ
だから監督のカメラが写るのだ
エリザベットは女優としての職業病の中で無限地獄のように閉じ込められアルマという役を与えられてどのように演じれればよいのかを模索しているのだ
少年は実在する息子のことだ
磔刑のキリストはアルマに神に見捨てられたように感じないかと語らせている
冒頭と中篇の前衛的なシーンは役作りの開始とやり直しを示している
そのような目で見れば多くのヒントが映像に示されていた
アンデショーンとウルマンとの火を吹くような演技合戦
美しい階調で撮られた映像
イングマール・ベルイマン監督の凄さを今更のように思い知らされた
恐ろしい程の傑作だ
切れ味鋭く、深みも感じさせるさすがの作品でした。
難解との声が多いようですが、さらっと観るならばそこそこキャッチーで、深く味わうならば相当難しい映画では、との印象を受けました。
主人公は失語症の女優・エリーサベットと彼女のケアに勤しむ看護師アルマ。登場人物はほぼこの2人。彼女たちは顔立ちが似ていて、ひとりは沈黙、ひとりは多弁と対になっています。
これで、タイトルがペルソナですから、所謂ドッペルゲンガーものであることは明白です。しばらく観ているうちに、エリーサベットが主体でアルマが影であることが判ってきます。
とはいえ、実は序盤10分くらいで、エリーサベットの主治医である女医が、本作のネタバレをしているのですけどね。なんともファンキーな構成!
女医曰く、
「エリーサベットは本来の自分でありたいが演技しているので(つまり仮面=ペルソナを被っている)、本当の自分と仮面との間のギャップに苦しんでいる。本当はさらけ出して無になりたい(リセット願望的なものか?)が、そうはなれず、死ぬこともできず、かといって演技したくないから沈黙している。でも本当のあなたには誰も興味を持ってない」
とのこと。
つまり、これから本当の自分(の一部)であるアルマが、彼女の本音をブチまけるという流れがここで示されておりました。
実際に、エリーサベットの影=アルマによって、子どもを愛することができないという本音が暴露され、抑圧が解放されて影が統合されるという、女医のガイドライン通りの展開に。
正直、序盤からネタバレ映画を観ているような気持ちでしたが、独特の緊張感があり、飽きることはまったくありませんでした。
冒頭の不快なモンタージュ、ベトナムの僧侶の焼身自殺やナチスに連行されるユダヤ人一家の写真に過度に怯えるエリーサベット、そしてラスト直前に突如カメラマンとベルイマンが現れメタフィクション化する瞬間など、謎も多いです。
おそらく、影の統合はオモテの主題であり、深淵なウラの主題があるように思えます。
映画・女優・メタフィクションあたりがヒントになりそうですが、現在の私のレベルではお手上げ。エリーサベットの怯えも本当にわからないです。
また数年後、実力をつけて裏の主題に挑みたいと思いました。
本当の自分、本当の気持ち、自分の本当にやりたいこと。
実はそんなものどこにもなくて、「本当」に囚われすぎて、ああーもーなんだかわかんない! ってな人はいつの時代にもどこの国にもいるわけなんですが、それをこれだけ緊迫感維持して尚且つ考えさせてしまうこの映画は「本当」にすごい!
多くの映画の礎となり多くの映画監督に影響を与えた と言われる作品。
「本当」に観て良かった。
突然口を噤んでしまった女優と彼女の世話をする看護師との、奇妙な交流を描いたサスペンス・ドラマ。
監督は『第七の封印』『野いちご』の、大巨匠イングマール・ベルイマン。
「ペルソナ」とは心理学用語であり、外向きの表層的な人格のこと。人気ゲームのタイトルにもなっており、もはや一般的な言葉として広く浸透している。
主な登場人物は2人。
1人は対外的な人格を装うことに絶望し、自ら口を噤んだ人気女優。
もう1人は「婚約者がおり、仕事にも充実している。私は幸せなんだ。」と自分に言い聞かせており、患者である女優に親身になって接する若き看護師。
この2人が、閑静な別荘という閉ざされた空間でともに過ごしている内に、それぞれの人格が混ざり合っていく、という作品。…これで合ってるよね?🤔
この2人は言わば1人の人間が持つ人格のメタファー。
女優は個人が持つ本質的な人格。看護師は対外的に用意された人格(ペルソナ)。
孤立した空間に閉じこもることで、ペルソナが徐々に剥げてゆき、完全に一つの人格へと融合しようとするが、結局その試みは失敗に終わる、という悲劇的な物語であり、人間社会で生きる以上ペルソナを手放すことは出来ないという悲観的なテーマを感じる一作だった。
普段芸術映画なんて観ないし、モノクロ映画なんて尚のこと観ないのではっきり言って何を面白がって良いのかわからなかった…。
こういう映画を楽しむには訓練が必要なんだろう。
冒頭のモザイク状にモンタージュされた映像。もうここから「ヤバい!訳わからない系の映画だっ!」と思ったが、思ったよりは物語性があって助かった。
敬愛する監督デヴィッド・フィンチャーが大きな影響を受けた作品であり、個人的オールタイムベスト級の映画『ファイト・クラブ』には本作のオマージュが散りばめられている。
冒頭で一瞬だけ映るエレクチオンしたおちんちんは、『ファイト・クラブ』のエンディングで引用されていたし、途中で映画のフィルムが焼き切れるような表現も観たことある!ってなった。
そもそも二つの人格が一つになるという本作のテーマが『ファイト・クラブ』に通じるものだし、想像以上にフィンチャーは本作から影響を受けているんだな、と学ぶことが出来た。
デヴィッド・フィンチャーファンにはオススメ!