イタリアの巨匠エルマンノ・オルミ監督が、1978年カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した名作ドラマ。「聖なる酔っぱらいの伝説」「偽りの晩餐」など後の作品でも高い評価を得るオルミ監督が世界で注目されるきっかけとなった作品でもあり、19世紀末の北イタリア、ベルガモの農村を舞台に、大地主の厳しい搾取のもとで貧しい生活を強いられながらも、大地とともに力強く生きる農夫たち4家族の生活が描かれる。小作人として農場に暮らすバティスティ一家を始め、6人の子を養うルンク未亡人、美しい娘マッダレーナのいるブルナ一家、けちで知られるフィナール一家は、土地や住居、農具などの全てを地主から借りて生計を立てていた。ある日、バティスティ家の息子ミネクの木靴が壊れてしまい、村から遠い学校へ通う息子のため、父親は川沿いのポプラの樹を切って新しい木靴を作ろうとするが、その樹もまた地主の所有物だった。ベルガモ地方出身のオルミ監督が、幼少期に祖母から聞いた昔話をもとにした物語で、出演者は全てベルガモの農民たちを起用した。日本では、79年に岩波ホールで劇場公開されてロングランヒットを記録。2016年、37年ぶりに同劇場でリバイバル上映。
木靴の樹評論(11)
一般の地元の農家が多く出演しているということもあるのか、リアルな生活感が滲み出ていたように思う。
登場人物が多く、絡み合う物語も非常に多くて、正直途中誰がだれなんだか分からなくなってしまうが、多種多様の物語がうまい具合に展開している故に飽きることがなかった。
バッハの音楽と信心深い演出が効果的に物語を盛り上げて、何ともいえない締め方をつくりあげている。
それが単なる日常の毎日のとるに足りない事件や事柄を淡々と描きながら、観るものを飽きさせない力を与えている
共産主義体制には幻滅した現代ではあるが
40年以上昔の夢と理想をまだ共産主義に抱けた時代の熱を感じる
じいちゃんが壁沿いに植えたトマトの土のように、ほのかな熱が残っているのを感じる
貧しい農民の子供が教育によって社会の矛盾を感じとり目に光を宿すラストは、未来の革命を信じた、汚れの無い光だ
しかし現代では、それももはや地に墜ちて泥にまみれているのだ
馬蹄に隠した金貨のように、どこにももうないのだ
それでもなおこの作品には力がある
美しい映像
ミレーの絵の世界そのまま
あるがままの当時の北イタリアの寒村貧農の日常がフィルムに写しとられている
日本で言えば明治期、その時代の日本の田舎の貧農とさして変わらぬ暮らしのリアルティ
バルビゾン派の絵画がフランスの農村のあるがままを描くことだけで、社会の階級間の緊張を煽ると非難された欧州の当時の空気
それまでを観客に感じさせるように巧みな構成をみせる
樹を切るまでに至る小さな罪の積み重ねで良心のハードルが下がっていく様を丁寧にみせる優れた脚本
何より素人の村人の自然な演技
その視線!
怒鳴る事もない
泣き叫ぶこともない
最小限の台詞、飾る言葉もない
なのに目が離せない3時間
監督の卓越した手腕を感じました
とても大変な生活だが、恵がある。
隣人愛、巡礼?のように突然やってきた人に当たり前のように食事を振る舞う。
妻の3人目の出産を気づかう夫。出産後のシーンはとてもよかった。
このお父さんは息子を学校にやるように神父さんに言われ、自分も学はないと言いつつ大きな愛情を持って学校に行く息子を見守っている。その愛ある姿に心打たれた。
若い2人のハネムーンは船で2時間ほどの大都会で、労働者のデモや逮捕者に出くわす。
結婚の贈り物⁈
素直に受けとる二人に隣人愛を見た。
立ち位置の平明さというのは大事なことだと思うわけです。言い換えると、映画作家として自分に正直であり、聴衆に対しても正直だということ。実直ということでもある。