会話のできない自閉症という障害を抱える作家・東田直樹が13歳の時に執筆し、世界30カ国以上で出版されたエッセイ「自閉症の僕が跳びはねる理由」をもとにしたドキュメンタリー。世界各地の5人の自閉症の少年少女たちの姿やその家族たちの証言を通して、自閉症と呼ばれる彼らの世界が、普通と言われる人たちとどのように異なって映っているのかを明らかにしていく。そして、自閉症者の内面がその行動にどのような影響を与えるかを、映像や音響を駆使して再現。彼らが見て、感じている世界を疑似体験しているかのような映像表現を紡ぎ、「普通とは何か?」という抽象的な疑問を多角的にひも解いていく。
僕が跳びはねる理由評論(2)
きちんと予告を観ていなかった事もあってかドキュメンタリー作品寄りのタイプの作品で当初は戸惑った。
作品展開も東田氏の著書をそのまま描写にしていくのではなく、著書にある言葉の一部を抜き取りその言葉の意味を追求していくような描写が続く。
良い事なのか悪い事なのか僕がこれまで生きていく中で自閉症を抱える者と深く接して来たことはない。もちろん日常生活を送っていく中でどこかでは接点はあると思うが、良くも悪くも彼らの存在を強く意識し認識した記憶がない。
そのため自閉症というもの自体は知っていても具体的にどういう病気なのか詳しくは分からないし知ろうと努力した事もなかった。
この作品はもちろん自閉症という病気を知るきっかけを与えてくれるが病気そのものの存在を追求するわけではなく、あくまで自閉症を持つ彼らの頭の中、心の中といった彼らの世界の一部を表現化した作品。
そのため自閉症という病気に豊富な知識があるわけではないからなのか、それともまだまだ異なる世界観を共感できる力がないのか時折理解が追いつく事ができなかった。その点は同時に自分になにか劣等感を覚えた。
ただこの作品を見る事で違う世界観への理解する心というものは養えるのではないか。
この作品で度々言われているのが普通の定義。
普通ってなんなのか。彼らにとってはこの世界観が普通なのに否定される苦しみ…もちろんこれは自閉症という病気だけではない。
色んな価値観や世界観、考えが錯誤するこの世の中で多くのケースで当てはめることができると思う。
自分と異なる存在への理解はやはり難しさを強く感じたと同時に平和への1番の近道ではないかと改めて感じさせてくれる作品だ。